311以降、さまざまな「見たくもない現実」を見てきて
同時に、「見たくもない現実を見ない人々」も見てきました。
「見たくもない現実」を見続けるのは、精神的な耐久力と時間が必要で
アホほどしんどいことなのも体感しました。
更に、「見たくもない現実」をわざと作りだしている敵は
情報流通と社会心理学のプロであると想定できます。
こっちがいくら必死でやってても、向こうの手のひらで踊らされ、欺かれ、
本当の敵がどこにいるのかを素人目には判断するには、かなり難しい状況が目の前に広がっています。
最近この一冊に出会えたことで
自力で敵を見定める「慧眼」を持つ道が、ちょっぴり開けました。
広い視野で、本当に大切なものを守る人たちのために
「見たくもない現実」を見続ける人たちのために
そして、何より自分の利益の為に。
「把握」・「俯瞰」・「判断」をしやすくすることにおいて
少しでもタメになりそうだと思った箇所を紹介していこうと思います。
影響力の武器 P440-440より
テクノロジーは人間よりもずっと速く進化しますから、情報を処理する私たちの能力は、現代生活の特徴である溢れるほどの変化、選択、挑戦を扱うには不適切なものになってきています。
下等動物には、外部の環境の複雑さと豊かさを十分に処理する心的装置が備わっていませんが、私たち人間は、次第にこうした下等動物と同じ立場に立たされるようになってきています。
認知能力がもともとある程度欠けている下等動物と違って、人間の場合は、複雑な世界を急速に構築することによって、自ら欠陥を作り出してきたのです。
ここで作り出された欠陥は、他の動物が長くもってきた欠陥と同じものです。
つまり、決定を下すとき、状態全体を十分に考慮して分析することが少なくなっています。
こうした「分析麻痺状態」では、その状況のなかにある単一の、たいていは信頼できる特徴に注目するようになります。
これら単一の特徴が本当に信頼に足るものである場合には、注意の範囲を狭めて特定の情報だけに自動的に反応するという簡便なやり方でも、本来的に間違った方法というわけではありません。
問題は、何かの原因で、普通は信頼性の高い手掛かりが、誤った行為や愚かな決定を行うように私たちを導いてしまう場合です。
これまで見てきたように、その原因の一つが承諾誘導の実践家が使うトリックです。
彼らは、相手がよく考えずに機会的で手っ取り早い反応をするように仕向け、それによって利益を得ようとしているのです。
現代生活のペースや形態によってこうした簡便反応の頻度が増していくと、この種のトリックも一層頻繁に使われるようになると考えて間違いないでしょう。
簡便反応という私たちのシステムに対する攻撃が強さを増すことが予想されるなら、私たちは一体何をしたらよいのでしょうか。
私は、逃げの手を打つのではなく、力強い反撃を行うべきだと思います。
ただし、重要な限定条件がひとつあります。
簡便方法のルールをフェアに使ってる承諾誘導のプロを敵だと思ってはいけません。
彼らは、効率的で適応的な交換の過程における私たちの仲間なのです。
反撃を加えるべき本当の敵は、自然な状況では簡便反応の手掛かりとなるはずの証拠を偽ったり、捏造したり、不正に提示する人びとだけです。
たぶん私たちが最もよく使う簡便反応を例にとって考えてみましょう。
社会的証明の原理従うと、私たちは、自分と同じような人びとが行っていることをやろうとする傾向があります。
たいていの場合、ある状況のなかで多くの人が行う行為は、機能的であると同時に適切なものですから、そうするのも道理にかなっています。
したがって、広告主がウソの統計を使わずに、あるブランドの歯磨きが一番よく売れているという情報を提供したとしたら、その人は私たちに品質に関する価値ある証拠を与えてくれることになり、おそらく、私たちはそれを歓迎することになるでしょう。
良い歯磨きを買おうとしてスーパーへ行ったとしたら、おそらく人気という単一の情報に頼り、それによって試すかどうかを決めていると思います。
この方法は、おおかた正しい方向へ私たちを導いてくれるでしょうし、これを使っている限りはそれほど大きく間違うこともないでしょう。
同時に、私たちの認知的エネルギーを、情報が溢れ、多くの決定を行わなければならない環境に対処するためにとっておくことができるのです。
この効率的な方法をうまく使わせてくれるのですから、広告主は決して私たちの敵ではなく、むしろ協力的なパートナーということができるはずです。
しかし、承諾誘導の実践家が、偽の信号を発して私たちの簡便反応を引き出そうとするなら、話は全く別です。
あるブランドの歯磨きが人気があるというイメージを意図的に作り上げるようなことを広告主がやるとすれば、この広告主は私たちの敵といっていいでしょう。
たとえば、俳優が一般市民のふりをして製品を誉めるというようにして、「自然なインタビュー」をやらせで撮って一連のCMを作る場合などです。
ここでは、その歯磨きが人気があるという証拠は偽りであり、私たち自身、社会的証明の原理、その証拠に対する私たちの簡便反応、これらすべてが利用されてしまうことになります。
前の章で私は、インチキな「自然インタビュー」広告に出てくる商品を絶対に買わないようにすることを勧めましたし、製品を作っている起業に理由を詳細に記した手紙を書いて、そういう広告を製作する広告代理店と手を切るように要求しようといいました。
さらに、こうした攻撃的なスタンスを、承諾誘導のプロがこのように社会的証明の原理(あるいは、その他すべての影響力の武器)を濫用するあらゆる場面にまで拡大することを奨励しました。
私たちは録音笑いを使うテレビ番組を見ることを拒否するべきです。
もしバーテンが、チップを入れる瓶に自分で紙幣を一、二枚入れようとしているのを目撃したら、そんなバーテンにチップなどやる必要はありません。
ナイトクラブの外で並んで待ってやっと入ったら、なかにも人が待てるスペースが十分にあることを発見する場合があります。
外で待たせたのは、そのクラブが人気があることを示す偽の証拠を通行人に印象づけようとするためだったのか、ということがわかったら、すぐさまその場を去り、まだ外で並んでいる人びとに対してその理由を告げるべきです。
要するに、相手に応酬するためには、私たちは積極的にボイコット、脅し、対決、非難、弾劾、演説、その他のあらゆる手段に訴えることが必要なのです。
私は、自分がもともと喧嘩好きな人間だとは思っていません。
その私が積極的にこのような喧嘩腰の対応を唱道しているのは、これがある意味で、搾取をする人に対する私自身の、そして私たちすべての戦いだと考えているからなのです。
ただし、利益を得ようとする動機が敵意を抱く原因ではないことを認識しておくことは是非とも必要です。
そのような動機は、誰もが多かれ少なかれもっています。
私たちの手っ取り早い反応の信頼性を脅かすようなやり方で利益を得ようとするあらゆる試み、これこそが本当の裏切り行為であり、最も私たちが耐え難いものなのです。
急激に変容する現代の日常生活は、それらすべてに対処するために、信頼できる簡便法や健全な実用的方法を私たちがもつことを要求しています。
これらは、もはや贅沢ではないのです。
それどころか必需品であり、次第に高まってゆく鼓動のように、だんだんと欠くべからざるものになってゆくように思います。
だからこそ、自らの利益のために私たちの実用的方法を裏切るようなことをする人に出会ったら、なんとしても彼らに報復しなければならないのです。
私たちは、こうした方法ができる限り効率的に働いてくれることを願っています。
搾取者が用いるトリックによってこうした方法が本来の働きを失ってしまうとしたら、私たちは当然それをあまり使わなくなってしまうでしょうし、決定を迫られるさまざまな出来事にうまく対処することが難しくなってしまうはずです。
戦うことなしに、ただ指をくわえて見てるわけにはいきません。
失うものはあまりにも大きいのです。
