ウマシカさんの木

ウマシカさんの木

映像制作のこと、役者さんのことを主に書いていこうと思います。

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物理の割と新しい理論、考え方にひも理論というのがある。

ひも理論は「君の名は」でも出てきた考え方です。最近、「君の名は」以外にも実写、アニメ問わず、パラレルワールドであったり、時間軸をテーマにする作品というのが多い印象を受けます。

パラレルワールドや時間軸という問題が物理で考えられることになったのが、シュレディンガーの猫の例題かなと思います。これは理科でならった原子の電子がどこに存在するのか?というものの困難さを端的に例題にしたのがシュレディンガーの猫でした。アインシュタインが神はサイコロは振らないと言って確率ではなく、正確に解を得ようとしていましたができなかった問題でした。

シュレディンガーの猫というのを簡単に説明をすると、

1:箱の中に猫が生きていて、一緒に時限爆弾(ガス)が入っている。

2:時限爆弾はいつ爆発するかわからない。

3:箱を開けて観測できるのはその瞬間だけで、ずっと継続的に観察することはできない。

このような条件の中で、箱の中の猫は生きているのか?死んでいるのか?は可能性でしかわからない、という結論になりました。

自分も素人で断言的には言えないですが、物理学は箱の中を見れない観察者からすれば、箱の中の猫は「生きている猫」「死んでいる猫」両方が存在している、と言う考え方をするようになります。これがパラレルワールドの科学的な根拠になってきたように思います。映画、ドラマ、アニメなどでIf設定というのがありますが、シュレディンガーの猫のように見えてない箱の中で死んだ猫、生きている猫、二つの答えがあるのであればIf設定、もし違う選択をしたら、その世界も存在している可能性もあるのではないか?そういう考えをした物理学者もいました。(昔のアインシュタインロマンと言う番組でやっていたな)

自分はただの一介のカメラマン、クリエイターなので本当にそういう世界、Ifの世界が存在しているのかはわからない、けれど、シュレディンガーの猫を成立するのであれば、そういったことも考えないといけない。

しかし、アインシュタインのように神の存在、可能性でしか求められない答え、の否定、可能性という居心地の悪さも感じます。何か別な方法で解決できないか?そういった中で次元を上げて考えるという理論が出てきます。それがひも理論。

今まで多くの人は次元という感覚はあまり意識しなかったのではないかな、と思います。次元が違うというのはどういうことなのか?そもそもこの世界は何次元?ということも説明すべきかもしれないが今は省きます。

 

 

 

次元の違いを2次元と3次元で紹介してみます。

2次元で同じような円、2つあるとします。2次元でみれば同じ円だとみえてしまいますが1つはコンパスで描いたもの、もう一つは型紙などを利用し、描いたものがあるとします。出来上がった円という部分だけをみれば2次元になり、同じ結果の判断になりますが、どう描くか?というのは3次元になり、コンパスのようにするのか?丸いものを利用するのか?など違いが出てくる。これが次元を上げて考えるということだと思います。これをシュレディンガーの猫、電子の位置についても同様に置き換えて考えれば、確率だけでなくもっと正確な答えが導けるのではないか?そしてひも理論の一つM理論では11次元あるのではないか?という仮説に至っています。人が感じることができる次元はいくつなのか?時空間の4次元?ただそれだけでは見えないもの、見つからない解も次元を上げて考えることによってみえるようになる、なぜそうなるかという答えまでたどりつくかは別として、なんとなくわかることもある、そのような考え方だと思います。

 

今、説明したひも理論の説明部分は構想中の作品の中でも説明しようと思っている内容のものですが、コロナが起こり、ウイズコロナと言う状況の中でコロナ対策と言うものもひも理論と同様に次元を多く、上げて考えていかないといけないもののように感じています。コロナも健康被害などすぐに影響が出るもの、経済もそうだし、精神的なダメージなどは徐々に影響が出てくるものもあります。また今後はそういったものから派生していろんな影響もでてくる可能性もある。まだひも理論も新しい考え方で完全に確定した正しい理論というわけではなく、おそらく正しいであろう理論ではあるけれど、内容を理解する必要はないけど、次元の捉え方、考え方というのはウイズコロナと言う時代に必要な考え方だと思う。

 

以上で今回のブログの主旨は終わりですが「君の名は」などの作品などにも少し話していきたいと思います。「君の名は」もひも理論からイメージをして制作しているらしいですが、次元の話よりもIf設定、タイムパラドックスが中心の話なのかなという印象です。映画の「メッセージ」「TENNET」なども同じように時間軸をテーマにしていて、最近の流行りなのだろう。どれも未来と現在の行き来があるが、個人的にはそれはやっぱり無理なのではないか?と思っている。タイムパラドックス、If設定というのは次元を上げずにシュレディンガーの猫を考えた中での考え方だと思うし、そういう世界だと限りのない世界が生まれていくことになってしまう。次元を上げて考えることで、実世界ではそれが無理なものではないのかな?と思う。自分が想像するのであれば、「君の名は」の世界観と同様に「夢」というのを利用して、第6感という存在を認めたうえで普通の人では感じられない次元の何かを感じ取り、その感覚が正夢として描かれるということはありえるのかも、とは思う。まぁ創作物は創作でファンタジーがないとつまらない。刑事ものや探偵ものもリアルに作り過ぎれば淡々とする。創作は科学的に合っているよりも面白いことが大事。

しかし時間軸というはひも理論など新しい理論も増え、興味深い要素になっているのだろう。物理の分野もそうだけど、創作活動の分野、映画、小説、漫画などや絵画も含め、時間軸という要素が重要になってくるものは増えていくように思う。

また時間と言う感覚も人によって違う。個人においても脳をフル回転させれば、時間は長くなるという学説を聞いたことがある。よくスポーツ選手が集中したときにゆっくりと時間が流れた(ボールがスローで見えたなど)というのは脳が集中して、多くの処理をすることで同じ時間でもより長い感覚で考えたり、行動できたりということになっているのではないか?ということだった。物理的にも相対性理論によって光速度一定で時間が変化すると言われている。同じ時間というけれど、厳密には同じ時間を共有するのは難しいのかもしれない。

 

 

4月5日はデビューの日らしいです。

新年度、若い人の季節っていっていいのかな?青春、いいですね。

 

ただコロナ禍の中で若い人にも見えない被害は出ているように感じます。

コロナが起こって、自殺者(特に10代、20代女性)が増えているという報告があります。

マスク、ソーシャルディスタンスなど感染予防対策は以前とはまるで違う環境、感覚になっていると思います。若い人だと感受性も高く、経験も少ない分、繊細で過敏に反応してしまうことがある。そしてそういったもの・ストレスを上手く対処できない、発散して精神を安定する方法もまだ確立できないことも多いと思います。

 

自分も若い時、ささいなことで逃げ出したい、自殺したいと思ったことはあります。それは周りから上手くいっていると見えても、実際に表面上は結果(成績・友人関係など)はいいように見えても、自分にはふと瞬間でネガティブな感情が起こってしまうことがありました。

人間関係というのは徐々にいろんな人と出会って、いろんな経験をする。経験が少ないから不安を感じるとどんどん負のスパイラルに陥ることもある。子供・若いころは誰とでも仲良くしたい、気に入られたいという意識が強かったし、嫌われることに不安を感じていたように思います。自分の若いころと比較すると、一般的に考えれば、今はSNSが人気でそういう意識がより高いようにも感じる。ただ大人になって、仕事をやっていくうちにたくさんの友人よりも信頼できる親友みたいな存在が一人・数人でもいればいいなと思うようになりました。数よりも質、というところでしょう。人間関係だけではないですが「広さ」か「深さ」かという選択はある。どちらがいいというわけではなく、自分にはどこが合うのか?ということになる。若い時にこれがどこなのかはわからない、わからないから不安になる。前述したように今はSNSで友人の数などが出てくるから余計にそういったものに意識をしてしまい、どういった人間関係、付き合いが自分には合うのか?ということを構築するのに雑音が入ってくるのかもしれない。若いと表面ばかり意識がいってしまうけど、いろいろと経験していくと見えていない部分の価値を知っていくし、そういうもののほうが大事になっていくように思います。表面的なものに流されず、焦らずに自分のペースで自分に合った人、ものに出会っていくことがいいなと思います。

またSNSの影響だけでなく、情報化社会で表面的なものが多くなり、いろんな情報が入ってきて、周りと比べてしまう機会が多い。けれど、自分の好きな山本周五郎の考え方で「幸せはあるものではなくて、作っていくもの」という考え方が好きである。一時期、「インスタ映え」という言葉が流行ったが「映え」の場所、行為で幸せになるか?といったらそうではない。でも、若ければいろんなことをやるのは楽しいし、自分も「映え」を探して楽しんだかもしれない。大切なのは表面的なものに流されて行動するのではなく、幸せも楽しさも自分自身でつくっていくことだと思う。表面的な大きなこと、目標を追いがちになってしまうけど、幸せって身近なところのささいなものであったりする。

若いと人間関係、ストレスとの付き合い方がわからないことが多い。不安になることも死にたいと思うことも誰にでもとは言わないけれど、ある程度、感じた人もいるだろう。コロナ禍で繊細な人はいろいろ考えてしまうかもしれないが悲観的にならなくてもいい。特に独身だと孤立して、視野が狭くなってしまいがちだけど、周りに助けてくれる人はいるし、意外に優しい人もいる。

それと表面上は元気にしている人でも内面では複雑な感情を持っていることもある。こういう状況だからこそ、人に優しくいられることは普段以上に大事なことだと思うし、また普段以上に声を掛ける、電話などで連絡をとることも大事だなと思う。

コロナの感染防止も大事ではあるけれど、それ以外の対策、対応も行っていく段階かなと思う。

 

昨年、原爆から75年という節目であったことから「長崎の鐘」の朗読の動画制作をしました。

朗読に関して、ほぼ読み手の方に丸投げしてしまいます。自分には役者、演技の経験はないので細かい指摘はできないし、役者さん、読み手の方がやりやすい形がいいだろうと判断してそういった形でやっています。ただだからこそ、オーディションをさせてもらって、きちんと能力のある方にお願いして、制作しています。

 

いくつか朗読の動画を制作、またオーディションでもいろんな方の朗読をみさせてもらいました。

そう言った経験の中で言葉、声を主とした演技は難しいものだろうなと感じます。ただ文字を声に出すのではなく、役にしても、内容にしても充分に理解し、イメージができていないと聞いているほうの耳に入っていかない。そういったものがあって抑揚があり、流れが出て、印象的なものを感じるのではないかなと思います。

そして朗読について、すごく繊細なものだなと感じたのは高谷さんとの撮影でありました。高谷さんはとても上手に読んでくれました。いい朗読になっているので視聴して頂けるとありがたいです。

ただ最終的にはこうなりましたが、テストで読んでもらった時、少し違和感を感じて、高谷さんと相談して変更しました。その変更点(動画内3:10あたり)は、

「わしゃ、もう生きる楽しみはなか」
「戦争に負けて誰が楽しみをもっとりましょう」
「そりゃそうばってん。誰に会うてもこういうですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪者だった。生き残った者は神様からの特別のお恵みをいただいたんだと。それじゃ私の家内と子供は悪者でしたか!」
「さあね、私はまるで反対の思想をもっています。原子爆弾が浦上に落ちたのは大きなみ摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」
「感謝をですか?」

「長崎の鐘」(著:永井隆)より引用

 

がテスト時に怒りみたいな感じ、けんか腰のような口調でやってくれました。何が正解というのはわかりませんし、正解がいくつかあってもいいように思っています。テスト時に聞いたとき、高谷さんが読みにくい印象及び違うアプローチでもいいのではないか?と感じました。そこで自分が思う永井さんの気持ち、相手の気持ちなどのイメージを高谷さんに伝え、動画のような形に変えてやってもらいました。手前みそな部分もあるかもしれないですが変更後のほうが流ちょうに読んでくれた印象があります。

映像制作ウマシカでは読んでいる姿も撮影し、見せていますので声だけの演技ではないのですが朗読と言うのは本当に小さな部分で大きく印象が変わるなと感じた撮影でした。

この作品については永井隆さんの実体験でありますが実際がどうであったか?は今となってはわかりません。行間を読む、という言葉がありますが朗読については役者さんが出せる武器が少ない分、余計に行間を読む能力、想像する能力が大事だと思います。さらにその上で自分と共通する部分、表現できる部分というのがあるのか?そういった意識が大事なように感じています。

聞く人を意識し、どのように想像するか?は朗読であるとドラマ形式の演技よりもより重要な部分になる感じがします。役者さんもいろんなタイプがあるので、何が自分の能力アップに繋がるかはそれぞれだと思います。ただ役になりきる、入り込むタイプの人には朗読というのはいい練習になるかなとも思いました。

 

映像制作ウマシカでは今後も朗読の動画、制作していきたいなと思っています。