古代ギリシアの歴史は複雑です

 

今回は、オイディプス伝説を通してデルポイの神託を深堀し、

ギリシア旅行でデルポイ(現代名デルフィー)を訪問すべきか考えます。

 

古稀(古代ギリシアの略名)について、他と決定的に違うことは文献が膨大なことです。神話伝承も含めればエジプト並みの5000年近い歴史があり、人間模様まで記録されています。

 

神話伝承は後世、紀元前500年より後に、古代ギリシア語(古稀語)で書かれた創作物語で、当時の人びとの心情まで描かれているものです。特にオイディプス伝説はギリシア悲劇で深く扱われており、古典文学として今日も読むことができます。

 

ちなみに、古稀の膨大な神話と伝承は複線で描かれており全貌を把握しにくいです。これを知ることでギリシア旅が面白くなるのですが、他人様に伝えるのは簡単ではない。そこでうまくまとまっている漫画を相方に薦めています。

 

ワタシは古稀で核となる神話伝承を以下の4つであると捉えています。

  1. ミノス・テセウス伝説
  2. アルゴーノート(黄金羊皮)伝説
  3. オイディプス伝説
  4. トロイア戦史

 

 

 

オイディプス伝説(Οἰδίπους)

三大悲劇作家のひとりソポクレスはオイディプス伝説の核心部分を3つの悲劇、オイディプス王、コロノスのオイデュプス、アンティゴネで描いています。またアイスキュロスはテーバイ攻めの7将という悲劇を遺しています。悲劇は今から2400年以上昔に書かれたもので、人物の心の綾まで描かれるような高度な文学作品となっています。

 

この話にはデルポイのアポロン神託が深くかかわっています。長く複雑な物語ですので、主にWIKIから引用し、原典も参照しながら加筆修正しました。

 

はじまり

テーバイ王ライオスは、デルポイ神託で「もし男子を作れば、その子供がライオスを殺す」と伝えられた。しかしライオスは酔って妻イオカステと交わり、男児をもうけた。二人は男児を殺せず、従者に山中に置き去りにするよう命じた。しかし従者も憐れみて男児を羊飼いに渡し、遠くへ連れ去るように頼んだ。羊飼いは男児を子供のないコリントス王に差出し、オイディプス(腫れた足)と名付けられた男子は王子として育てられた。

 

 

 

旅立ち

 

成長したオイディプスは出生に疑問を感じ、デルポイの神託を求めたが、神託は彼の疑問に答えず、「故郷に戻るな、父を殺し母を妻とするであろうから」と教えた。コリントス王ポリュボスとメロペー王妃とを実の両親と信じるオイディプスは、コリントスに戻らずに旅をつづけた。

 

父殺し

コリントスとテーバイに分かれる三叉路に差しかかったところで、戦車に乗った実の父ライオス王が前方から現れた。オイディプスに道を譲るよう命令し、ひき殺そうとした。これに怒ったオイディプスは、ライオスと従者を殺した。ライオスが名乗らなかったため、オイディプスは自分が殺した相手が誰であるかを知らなかった。

 

この時テーバイは、スピンクス(スフィンクス)という怪物に悩まされていた。スピンクスはピーキオン山頂に座し、そこを通るものに謎を出して、謎が解けぬ多くの者を喰らっていた。このためライオス王はデルポイ神託を聞きに行こうとし、その往路でオイデュプスに出会って殺された。

 

王が亡くなったのでテーバイ人たちは、「この謎が解かれた時スピンクスの災いから解放されるであろう」という神託を得ていたため、イオカステ王妃の兄、クレオン副王は、「この謎を解いた者にテーバイの王位とイオカステを与える」という布告を出した。

 

 

オイディプスとスフィンクス

 

スピンクスは女面にして胸と脚と尾は獅子、鳥の羽を持っていた。ピーキオン山頂に座し、そこを通るものに謎を出して、謎が解けぬ者を喰らっていた。この謎は「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」というものであった。

 

オイディプスはこの謎を解いた。

「答えは人間である。何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩くからである」

 

スピンクスは、自ら恥じて城山より身を投じて死んだ(謎が解かれた場合は死ぬであろうという予言があったためとする話もある)。

 

テーバイ王となり、母と交わる

スピンクスを倒したオイディプスはテーバイの王となった。イオカステを、実母とは知らずに娶り、2人の男児と2人の女児をもうけた。男児はそれぞれエテオクレスポリュネイケスといい、女児はアンティゴネイスメネという。

 

 

真実を知る

(ソポクレスの悲劇オイディプス王は、ここから始まります。)
 

オイディプースがイオカステ王妃と結婚して以来、テーバイでは不作と疫病が続いた。オイディプスはクレオンをデルポイに派遣し神託を求めたところ、「不作と疫病は先王ライオス殺害の穢れのためであるので、殺害者を捕らえテーバイから追放せよ」という神託を得た。

 

 

 

 

オイディプスは過去を調べ、ライオス王の死亡事件が自分がこの地に来たときのポーキスの三叉路での事件に似ていることに気が付く。さらに調べと、自分が事件の当事者であること、しかも自分がライオス王の子であったこと、したがって母との間に子をもうけたこと、つまりは神託を実現してしまったことを知る。

 

それを知るやイオカステは自殺し、オイディプスは絶望して自らの目をえぐり、子供、特に娘二人の行く末をクレオンに託してテーバイから追放されることを望んだ。この顛末に接した人々は「今際の時まで憂いない人生でなければ、人は幸せとは言えない」と結んでいる。

 

(高津春繁訳のソポクレス悲劇「オイデュプス王」はここで終わります。一方、内村直也訳のH.J.ジョリッフ作の名著、ギリシア悲劇物語では、結語が「この世を去るまで幸福が続く人はいないではないか」となっています。原典が異なる意味に訳されていることも古稀語の難しさで、山姥が深入りすることは出来そうにありません。)

 

最期

オイデュプスの放浪にはアンティゴネが同行し、彼女は大好きな父と一緒に旅できて幸せだった。

 

(山姥注:オイディプスは放浪に関して、なぜか息子2人を恨み、やがて二人が争って討ち死にすることを呪った。悲劇コロノスのオイデュプスでもそのようになっていること、先の悲劇オイディプス王から変化したものです。)

 

 

 

 

その後、デルポイの神託があり、オイディプスを保護した方が勝利しその墓がある土地は栄えると伝えられた。このため双方がオイデュプスを求めたが叶わなかった。娘と共に諸国をさすらったオイディプスはアテナイに辿り着いた。アテナイ王テセウスはオイディプスを手厚く庇護し、娘とオイディプスをテーバイに連れ戻そうとするクレオンを敗走させた。コロノスの森でオイディプースが最期を迎えることを認めたテセウスに見守られ、ようやく安息の地を得たオイディプスは雷のなかに姿を消した。

 

アテナイがオイディプス終焉の地となり、栄えることが約束された。

 

 

その子孫

オイディプスとイオカステは2人の息子エテオクレスポリュネイケス)と2人の娘(アンティゴネ、イスメネ)を残した。2人の男児はテーバイの王位継承をめぐって争った。その結果、テーバイを追放されたポリュネイケスは母の形見であるハルモニアの首飾りを持ってアルゴス王のもとに逃れた。この首飾りを贈って王の援護を得たが、神託に従ってオイデュプスを擁護しようとして拒まれた。結局アルゴスの7人の将軍でテーバイを攻めた(『テーバイ攻めの七将』)

 

アンティゴネはオイディプースが死ぬと兄弟の争いを止めさせたくテーバイへ帰った。しかし戦争がはじまった。テーバイが勝利するためにはクレオンの子メノイケウスが死ぬしか方法がない、というテイレシアスの予言があった。これをを受け入れずメノイケウスを逃がそうとしたクレオンであったが、子は自ら自害してしまった。

 

結局兄弟は相打ちになって死亡しアルゴス軍は撤退した。オイデュプスの呪いとテイレシアスの予言は成就された。

 

クレオンが王となり、テーバイを裏切った兄ポリュネイケスと将軍たちの遺体は埋葬を許されず、野ざらしにした。しかしアンティゴネは兄の骸に砂をかけ、埋葬の代わりとした。このことで彼女は死刑を宣告され、牢で自害した。また、アンティゴネの婚約者であったクレオンの子ハイモンも彼女のあとを追い自害した(『アンティゴネ』)。

 

妹、子供二人を失ったクレオンもまた悲劇的な人物であった。テセウス王は将軍達の遺体を埋葬するために圧倒的な軍隊でテーバイを威嚇し、遺体を引き取って葬儀した。

 

戦争から10年後、七将の息子たち(エピゴノイ)は父親の志を継ぐべくテーバイへの再攻撃を企て、テーバイを陥落させた。途中、エテオクレスの子ラオダマスは戦死した。

 

一方、ポリュネイケスの子テルサンドロスは、テーバイでの戦争に勝利した後、トロイア戦争に参加したが、ギリシア軍は間違ってミュシアに上陸し、テーレポス王と戦争になった。ギリシア軍はテーレポスによって敗走させられ、テルサンドロスは最後まで戦ったが、テーレポスに討たれた。(山姥注:この話は出典がわからないが、本当ならトロイア戦争と時代が重なるもの)

 

 

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ふー、ここまで書いて疲れましたわ

脳トレになりました。これだけの分量の物語を今から2400年前によくもまあ書いたものだわ。原典は濃厚な対話の連続で大著になります。もちろん邦訳ですが、読むだけでも一苦労でした。

 

テーバイ(現ティーヴァ Θήβα / Thiva)には最近博物館ができたらしいが遺跡自体はあまりなく、訪れるならレンタカー旅になります。オイディプスを巡る旅となればコリントス( Κόρινθος )にも立ち寄りたいし、日程が少々厳しいでしょうか。

 

今日繁栄するアテネだけ訪問し、デルポイは書物を通じて遠くから眺めるだけにしますか。

 

 

 

 

ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂で直接お目にかかって、余りの美しさに絶句したデルポイの巫女です。こちらミケランジェロの傑作で、カトリックの礼拝堂にあることも驚きです。デルポイ神託はキリスト教の普及とともに廃止になりました。撮影禁止ですから借りフォトです。

 

 

 

 

足元にも及びませんが、長寿を願う山姥です。明日死ぬという神託が怖いから聞きにいきません。

次はトロイア戦争後のミケーネ王家にまつわるオレステイアに触れましょう。

ではまた