こんにちは、12月とは思えない暖かい日です

 

医者から無理といわれていた自然妊娠ですが

 

一昨晩、娘から妊娠したと連絡がありました。夏に人工授精を試みてうまくいかず、精子の状態が思わしくないことから体外受精することになっていた娘ちゃん。今月半ばに体外受精(顕微受精)を行う予定で、その予備検診で昨日医者に行きましたが、妊娠6週目であることが判明しました。

 

どうやら先々月のタイミング法がヒットしたもので、着床した受精卵がエコーからも確認できているとのことです。当初、自然妊娠できる確率は1割未満で絶望的という見立てでしたので、これにはお医者さんも驚いていました。しかしもっと驚いているのは娘夫婦と山姥一家です。

 

人間の生命については科学では解明できないことが多くて、神は偉大なり、人間は神秘的と改めて感じたものでした。

 

 

 

 

 

しかし中東では神の苛烈な営みが

 

中東特にイスラエル近辺の歴史を眺めてみました。

 

 

 

 

ユダヤ人は流浪の民でした。何度か定住したカナンの地(現在のイスラエル・パレスチナ地域)ですが、そこから流浪を繰り返し、アブラハムの時代にカナンの地に戻ったのが紀元前18世紀から前19世紀と推察されています(異説もあります)。

 

ユダヤ人はやがてエジプトに移りましたが、ラムセス王に追われたモーゼが出エジプトして再び戻ったのが紀元前1230年のこと。このカナンの地をダビデ王が統一しイスラエル王国を造ったのが紀元前993年です。次のソロモン王は神殿も造りました。しかし王国は分裂し、最後まで残ったユダ王国も紀元前587年にバビロニアに滅ぼされ、ユダヤ人は捕囚となってバビロンに連れていかれました。

 

そのバビロニアは紀元前538年にアケメネス朝ペルシアに征服されましたが、征服者キュロス王の意向もあり捕囚はカナンの地に戻され、エルサレムの神殿も再建されました、ユダヤ人の確固たる一神教と習わしおかげか、ペルシア帝国の庇護の下にかの地で生活していた模様です。カナン帰還は紀元前538年から前515年の出来事です。

 

 

 

(あらすじはワタシの先輩が書き残した遺著からピックアップしました。)

 

紀元前330年ペルシア帝国はマケドニアのアレキサンダー大王により滅ぼされ、その後のカナンの地でのユダヤ人の消息ははっきりしていません。カナンはプトレマイオス朝エジプトやシリア王国といった周辺の国々の支配を受けた模様です。

 

紀元前165年になってハスモン朝というユダヤ人の王国がエルサレムに成立し、一旦ローマに支配されましたが紀元前37年ヘロデ王によりユダヤ王国が誕生することになりました。

 

これ以降はユダヤ・キリスト教とローマ、そしてアラブの歴史に重なっていきますが、ワタシの手に負える内容ではないので省略します。ユダヤ王国は紀元45年頃ローマ帝国に滅ぼされ歴史の表舞台から消えました。

 

1900年もの流浪のなかでユダヤ教と生活習慣を守って独自性を保つ一方で、排斥、時に民族虐殺をうけてきました。1947年にイスラエル共和国という独立国家ができましたが、その際先住していたアラブ人(パレスチア人)を排除したことが今日の混乱を引き起こしています。

 

このような長い、時に凄惨な歴史をもつ民族で、最近でもアウシュビッツを被っていますから、他民族とのあつれき、時に戦乱は身近なものでしょう。ちょっと横道に逸れますが、第二次世界大戦で死傷者がダントツに多かったのはロシアですから、彼らの好戦的な姿勢には背景があり、時に虐殺という悪魔的行為を行うことも人間の性であり神の本質でしょうか。敬虔な宗教者であるユダヤ人(とアラブ人)は、多神教という原始宗教に馴染んだ我々にとって想像を絶するものを持っているようです。

 

 

 

 

 

そのような世界から遠ざかって、ひっそり平和に余生を送り、子孫もじきに絶えれば良し。そもそも人間は生まれてこないのが一番良い、とした山姥ですが、神と人間の世界に引き戻されました。そのような世界に子孫が関わるのか?そう思うと複雑な心境です。

サラーム