黒地に色とりどりの画面を埋め尽くす花々。これがモザイク?わ、可愛い!

 

これは絶対に観に行かねば!調べてみたら、陶芸家板谷波山の息子、板谷梅樹(うめき)だったと知る。

 

 

 
板谷波山の五男として生まれた梅樹は、幼い頃、波山の焼いた陶器の陶片を組み合わせて遊んでいたという。18歳で明治大学を中退しブラジルに渡るが、一年で帰国。ステンドグラスの小川三知の工房に出入りするようになり、20代半ばからは陶片やステンドグラスを使ってのモザイク画を志す。
 
残っている作品は少なく、多くが個人蔵のものだった。
花やかわいい生き物たち、モダンな柄。
ブローチや帯留め
可愛らしい小箱
 
ランプシェード
 
モザイクでつくられた模様はあたたかい。なんだかじんわりと、手のあたたかさがそのまま感じ取れるようだった。
 
陶片のつやが独特の輝きを与えてもいた。
 
陶やステンドグラス用の硝子をのみ等で細かくくだいて、模様を作り上げていく、その手間暇に驚いた。陶の破片はまるでそのために存在しているかのようにハマって、艶やかな紋様を作り上げている。さぞや根気と時間がいっただろう。
 
講堂と呼ばれる会議室スペースが開いていて、映像が見れる。椅子も沢山あり、5分と8分の映像があった。
5分の方は大画面で、梅樹の旧日劇の1階入り口を飾った3mものモザイク壁画。(今は現存しない)
8分の方は父・波山の収蔵品の映像がテレビに流される。
 
映像を観てから、順番にまわって行った。
 
旧日劇のモザイク壁画は時代の流れとともにベニヤ板で隠され、旧日劇解体時に再発見されたものの、再利用されないまま結局は処分されてしまったという。もう存在しないけれども、若い板谷梅樹がどれだけ心血を注いで制作したのか、と驚くような大きさだった。(会場に写真が大きく展示されている。)
(画像お借りしました💦)
 

 

もう見れないなんて惜しいなぁ・・・。

 

 
 
略歴のボードの横に、板谷梅樹の写真があった。ちょっと小首をかしげてこちらをじっと見る梅樹と目が合ったように思い、ドキッとする。なんとなく、ビクターの犬っぽい。あのかわいい世界観を作り出すだけある、そんな瞳だった。
 
入り口に飾られていた1954(昭和29)年に制作された壁画「三井用水取入所風景」
 
改めてもう一度見直すと、その細かさに本当にタメイキ。
 
 

 

是非動画でこのかわいい世界をご覧ください(⋈◍>◡<◍)。✧♡↓

 

 
住友家所有の板谷波山作品コーナーも充実。
チラシより↑葆光彩磁珍果文花瓶》 1917年 口径27.7センチ 高さ51センチ 胴径39.8センチ 底径21センチ
 
 

東京美術学校(現・東京芸術大学)で彫刻を専攻し、岡倉天心や高村光雲らに学んだ波山は、20代の半ばに陶芸の道へ。戦後には陶芸家初の文化勲章を受章するなど大正・昭和期を代表する陶芸家。初期はアール・ヌーヴォー表現✨独自に編み出したマットな質感の葆光彩(ほこうさい)✨最高に美しい~✨「艶消しの葆光釉」を使い、淡い光を放っているような仕上がりに・・。「葆光」とは光を包むという意味で、波山自身が命名したそうだけれど、実物は本当に、内側から生き物のように静かに発光しているようだった。

 

以前NHKの番組で特集されていた板谷波山は完璧主義者で、せっかく焼きあがった陶器を惜しげもなくバンバン割っていて驚いた。その波山が会心の作、と言ったという壺。ぐるぐるとその壺の周りをまわってみてしまった。いくら見ても見飽きない。ともかく完成度がすごい・・!

 

絵はがきより↑ 彩磁更紗花鳥文花瓶 1919(大正8)年頃

こちらも高さが50cmくらいありそうな大きな作品で、あの色と輝きは全く写真にでないけれど、本当に美しかった。

写ってないけれど、この白い隙間の部分にも唐草のような模様が彫られている!

更紗風の花。大きな花弁の花も綺麗だけれど、蕾には白い可愛い花が。

 

 

板谷波山の奥様、板谷まるさんも陶芸をなさっていて、その作品なども。

 

会場で流れていた8分の映像、発見!↓