デ・キリコ展 東京都美術館へ。(2024年4月27日~8月29日)

 

 

 

 

 

 

シュールレアリスムよりも先んじて、ここではないどこか、不可思議な世界を描いた「形而上絵画」。

 

初日から相当混んでいて、三日目に行った友人によるとお土産で完売品がでていたそう。ブランクーシ展の時もそうだったけれど、初日から一週間ぐらいは美術展好きで展示を待ちに待っていた人々で混むのだろうか。ブランクーシ展、開幕から3週間後のGWに二回目おかわりしてきたら、とても空いていたから、テレビで特集する前&閉幕前を避けるといいのかも・・・?

 

今回は金曜の16時に行ってみた。(金曜夜は毎週19時半まで入館出来、20時まで開館)

 

空いてる!

 

東京都美術館は撮影不可で、むしろそれがよかった。集中できて。撮影可能だとつい撮影会になってしまい、絵をじっくり見ていないような気がする。撮影はなくてもいいかも・・・。

 

彼が様々な年代に描いた自画像や肖像画や静物画から始まる。若い時代を経て晩年まで。それを見終わるといよいよ、彼の形而上絵画が現れる。

 

ベックリン時代の一枚は、「死」の予兆に満ち満ちて。デ・キリコ、こんな絵も描いていたんだなぁ。父親を亡くして、死について感ずるところがあったのだろうか。

 

展覧会場の壁は黄色や紺色で、合間に四角く窓のように空間が開いていて、通ってきた展示と人々の姿が見える。まるで、デ・キリコの絵の中に自分が迷い込んでいるかのよう。

 

 

人の姿がない、静かで奇妙な街。空は地上の近くは黄色で次第に緑がかった青になっていく。雲もない。通りすがりの人々の姿の影だけが道にあり、どんな人がここを通っているのだろう。何をしゃべって?

 

 

 

 

 

 

ギリシャ神話を題材にしたものが多く、知らない話ばかりで、スマホで検索しながら。

「ヘクトルとアンドロマケ」(絵と彫刻で)、「ペネロペとテレマコス」、アイアス、アリアドネ、ガニメデ、オレステスとピュラデス。知っているとより楽しめるかも。

 

途中から突然ルノワールに傾倒し、マヌカン(マネキン)なのにルノワール風な質感で、むしろこちらの方がシュールだった。(怖い感じ)

 

彫刻やバレエの衣装などもあり中々に興味深い。

 

 

さて、デ・キリコがこれらの形而上絵画へ踏み出したきっかけとは何か。

それまでベックリンに影響を受けていた彼が、彼独自の不可思議な絵を制作し始めたのはフィレンツェでの自身に生じた奇妙な体験だったのだという。

 

「ある澄み切った秋の午後、私はフィレンツェのサンタ・クローチェ広場の中央にあるベンチに腰かけていた。もちろん、私がこの広場を観たのは初めてのことではなかった。私は長く苦しい腸の病から抜け出したばかりで感覚はほとんど病的な状態にあった。

 

自然の全て、建築物の大理石や噴水までもが私には病み上がりのように思われた。広場の中心には長いマントを羽織ったダンテの像が立っており、自身の著作を自らの身体にしっかりとつけるように握りしめ、月桂樹を被ったもの思わし気なその頭を地上に向けて傾けていた。その像は白い大理石で出来ていたが、時間が灰色の色調を与えており、眺める眼に快かった。生ぬるい秋の太陽が容赦なく彫像と教会のファサードを照らし出していた。

 

そのとき私は、全てを初めて見ているのだ、と奇妙な印象を覚えた。そして作品の構成が心に浮かんだ。(※今回の展覧会にはきていない、「秋の午後の謎」)私はこの絵を眺めるたびにこの瞬間を思い出す。とはいえこの瞬間は私にとって一つの謎だ、というのもそれを説明できないからだ。そこから生じた作品も私はやはり謎と呼びたいと思う。」

「ジョルジョ・デ・キリコ 神の死、形而上絵画、シュルレアリスム」長尾天 水声社 26頁より

 

腸の病が何だったのか見つけられないが、病や痛みは死を簡単に連想させる容赦ない力がある。長いトンネルのなかにいるような日々からようやく抜け出たといっても、気だるく、ふわふわと覚束ない感覚。

 

「全てを初めて見ているのだ、という奇妙な印象」

 

自身に与えられたもの。

死ではなく、生。

 

生と死の狭間の空間と時間。

 

現実と非現実の中に浮遊していると、これまで当たり前のように眺めていた世界そのものが全く変わって見えた、ということだろうか。

 

あの、死と生の狭間の、音もなく、人のいない不可思議な空間。

 

ベックリンの影響下から抜け出て、今の自分が描きたい世界を描く。

 

それは「生」へむかって、無我夢中にひた走るような。

そういうものだったのではないだろうか。

 

 

 

 

山田五郎さんが配信で、この「全てを初めて見ている、という奇妙な印象」について秀逸な解説をなさっておられる。

 

「これさぁ、なんかなぁい?ぼーっと物を見てるとさぁ、急に音がなくなって、人もいないみたいな感じになって、一体自分は今何を見ているんだか、どこにいるんだかわかんなくなるって時、ない?あるでしょ。で、その時にさぁ、無性に寂しくなる時ってないかぁ?なんか世界中に自分一人しかいないんじゃないか、みたいな。し~んとして、今見ている自分一人しかいないんじゃないか、みたいな淋しさ。はっきり見えてはいて、見えているのに、一体自分は今何を見ているのか・・。俺はよくあるんだよ。ぼーっとしている人間だから。」

 

・・・五郎さん、好き過ぎる・・。もうほんと好き。この解説、どすんときた。

 

あるな~。自分もこういう瞬間よくある。だから、デ・キリコの絵が懐かしく感じる。よく知っている場所みたいに。

 

五郎さんの解説を聞いてこういう感覚が自分だけでなく、五郎さんにもウリタニさんにもある、そして多分誰にでもあるのが嬉しかった。(配信は期間限定なので、ぜひご覧ください!)

 

 

 

 

撮影可能は二か所の撮影スポット。

もう一か所はマヌカンとツーショットがとれる。(うっかり写真なし)

 

 

 

 

 

観終わるともう辺りは暗くなっていて、夕闇の中、エスカレーターは黄金色、赤や緑の壁のある部分がモンドリアンの絵のようにそそり立っていて思わず見惚れてしまう。夜の東京都美術館は美しい。

 

 

こんな場所あったかな・・?

展示場の入り口!!並ばずに入ったので気づかずに通り過ぎてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五郎さんお勧めのデ・キリコ本!

すご~くよかった!!これを読んでから行けばよかった~と後悔するほど。ぜひご一読を!

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