- 国宝・燕子花図屏風
デザインの日本美術(2024年4月13日(土)〜5月12日(日)会期終了)
根津美術館へ。
後進の画家が研究を重ね、それぞれの燕子花図屏風を描いてきた、その原点でもある尾形光琳の燕子花図屛風。毎年この時期になると、根津美術館で見ることができる。そして庭の燕子花も艶やかに咲き誇る。
実は未踏の根津美術館。
思い切ってゴールデンウイークに訪れてみた。
燕子花図屏風よりも庭の燕子花目当ての方が多いようで、10時開館とともにお庭へ直行なさる方々も。海外からの方が多いイメージ。コロナがあけてもチケットは日時指定の根津美術館、そうしないと混雑が緩和できないのだなぁ、と行ってみて納得。
尾形光琳(1658~1716)国宝「燕子花図屏風」
「絵とデザインの境界線上に位置する作品です。群青を分厚く塗った花や、緑青を勢いよく刷いた葉など、画家の絵筆の介在は明らかですが、平面上の幾何学的なレイアウトが作品の核心であるのも間違いありません。
「燕子花図屏風」の示すデザイン性、あるいは装飾性は、日本の美術が古来、内包してきたものです。日本における工芸品の意匠と絵画の親密な関係も特筆されます。一方、「燕子花図屏風」は草花図でありながら和歌や物語とも関わると考えられていますが、それは、デザインによって文学世界を象徴的に表しているとも言えます。
本展では、「燕子花図屏風」を中心にすえ、近世の作品を主にとりあげながら、デザインの観点から日本の美術をみつめます。」
根津美術館
絵とデザインの境界線上の作品なのかぁ~・・。
確かに、ベタ塗りのような分厚く塗られた燕子花の花。どの花も版を押したような。金箔の水面にくっきりと映える群青と葉の緑のあざやかさ。
他の所蔵品の印象を薄れさせてしまうほどに、強く残っている。
伊勢物語の東下りを描いたという燕子花図屏風。
昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。
もとより友とする人、ひとりふたりして行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。
三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水行く河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心を詠め。」と言ひければ、詠める。
唐衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
旅をしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。
伊勢物語 東下り
自分のいるべき場所はここではない、どこか。
それを探し求めて迷いながらの旅の途中、燕子花が美しく咲き、友に請われて歌を詠む。
それが中々に心打つ出来で、皆が乾飯がふやけてしまうほど泣きぬれた・・。
かきつばたの五文字を句にするの、よくSNSなどでも見かける・・!この頃からの!
八橋もなく、ただ燕子花だけで東下りを想起させるとは、当時の上流階級にとってはそれだけ伊勢物語が知っていて当然の教養だったのだろうな~。
尾形光琳はこの燕子花図屏風の約10年後、八橋のある燕子花の図屏風も描いていて(八橋図屏風)、それは海を隔てたニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている。2012年、100年ぶりにこの二つの図屏風の展示がここ根津美術館で開催されていたことを知り、かなりの後悔。興味のなかった自分が悔やまれる・・。
庭に出ていく人々の多さに驚愕しつつ、とりあえず外に出てみる。
都会の喧騒とは無縁の静かな庭を歩いていると、心が落ち着く。
あんなに人が入っていったのに、人の姿はまばら。それだけ広いのかも。(NEZU Caféに行列!Caféはまたの機会に)
庭の燕子花、右岸と左岸の燕子花がちょうど右隻と左隻の屏風のよう。
この花を見て、あのように描くのか、と花や葉をまじまじと見てしまう。
よく見ると枯れた花も点在していて、燕子花図屏風にはそういえば枯れた花は描かれていなかった。一番美しく咲いた燕子花だけが閉じ込められ鮮やかに光を放っていた。
水辺に現れた青鷺!初めてみた!
池の小さな魚を食べて燕子花の茂みに消えていってしまった。ほんの一瞬のこと。
青鷺や白鷺を見るのは幸運の印だから、素敵なことがあるかもね、と友人の言葉にほっこりしている。
この燕子花の見事さに心奪われて、また来年、尾形光琳の燕子花図屏に会いに行くのもいいかも。