「辺境のオオカミ」ローズマリー・サトクリフ(岩波少年文庫)読了。

 

ローマ軍の若き指揮官アレクシオスは,未熟さから戦いでの判断をあやまり,自軍に大損害を与え,北ブリテンの辺境守備隊に左遷されてしまう.衰退の一途をたどる帝国の辺境で,挫折と挑戦,友情と憎悪,出会いと別れを経て,やがて〈辺境のオオカミ〉として生きる決心をするまでを描く,ローマンブリテン4部作の最終編.(岩波書店 紹介文より)

 

自身の未熟な判断から、取り返しのつかない状況へ。

 

左遷された場所で懸命に人々とその在り方に馴染もうとし、一見馴染んだかのように見えたものの、ちょっとした変化があっけなく1年と6カ月間彼が築いてきた穏やかな世界を足元から崩していく。

 

再び重要な決断のふちに立たされ、決断を下していく様は重々しく、息苦しい。

 

 

読み進めるスピードが中々あがらない。

 

もう二度と思い出したくもない苦しい現実から逃げきれた、と思っていたのに、また振り出しに戻ってしまった。この絶望感。

 

「おかしなものだ、と彼は考えた。アブシーナのことをきれいさっぱり忘れようとした約一年半後、同じように弧を描いて出発点に戻ってきてしまったとは。本当はおかしなことではなかった。それはひどく趣味の悪い冗談だった。」 

    「辺境のオオカミ」226頁 ※アブシーナ・・アレクシオスが大失敗した戦いの土地

 

 

思うに、きれいさっぱり忘れようとしてはいけないのではないだろうか。

 

自身の失敗を、なかったことにして人生を楽しんではいけないのかもしれない。

なかったことにするな、もっと懸命に、もっと真剣に向き合え、あの時、一体何が判断を誤らせたのか?どうしたらそれを招かなかったのか?もっと考えろ、もっともっと!贖いを求めてやまぬ荒々しい神々のように運命は吠える。

 

恐ろしい悪夢の一部の中にいて、いつまでたってもその悪夢から目覚められない。

ほんの数日前までは、なんとか大過なく、いやむしろ万事がうまくいっていたはずなのに、急転直下。

 

現実の世界でもそのようなことが多々ある。私も未だにその影響下でもがいている。もう全くもってあることだよな~~~~・・。読むのが辛い。

 

ローズマリー・サトクリフのブリテン4部作の最後の巻であり、3作目「ともしびをかかげて」の20年後に出版。

 

確か、図書館で見つけて読んだ記憶がある。

あまり印象に残っていない。私にとってはまだ「自分の物語」にもなっていなかった。

2002年発行ということは、大人になってから読んだことになるけれど・・。

 

 

命を脅かされながらのひどい行軍。いとも簡単に死んでいく人々。

不思議だけれどそのギリギリの戦いの描写で、ようやく物語にのめり込んでいった。

 

 

読後感は切なくも爽やか。。

時は巻き戻せない。故に美しい。

 

アレクシオスが本当の意味で、「辺境のオオカミ」への第一歩を踏み出したのは、自身のオオカミを仕留めた瞬間だった。

 

「アレクシオスには黄色の目のなかにある憎悪を見てとる時間があった。耳を平らにねかせ、邪悪な牙をむきだしているこの獣の目のなかに、これこそが、『自分の』オオカミであることを示すものがあるのを見逃さなかった。これは彼のオオカミだった。このオオカミだけが、世界でただ一匹のアレクシオスのオオカミだったのだ。」102頁より

 

俺のオオカミ。

そのオオカミを自身の手で屠る。

 

他のどのオオカミも、もはや自分のオオカミとなりえない、唯一無二の彼のオオカミ。

 

「こころの奥底で本能的に、なぜ辺境のオオカミたちがひとりひとり、自分のオオカミ殺しをやるのか、新しいマントが必要になった場合を除き、二度とオオカミ殺しをやらないのかを理解」する。

 

オオカミの、目を見張るような速度、躍動する美、油断すれば即座に自身の命すらも奪われる巨大な力。そして最後まで抗う勇気。野生の、獣のいのちが、彼の魂の一部になる。

 

俺のオオカミ。

それはクーノリクス。

 

友好関係を保ってきたヴォダディニ族の若く新しい族長、アレクシオスの友。

 

(書いていてクーノリクスが彼のオオカミに他ならなかったことに突然気づいた。まるで天からのひらめきのように。書くことは、発見する行為でもある。繰り返しその箇所を読み直し、確信を得る。)

 

これは通過儀礼の物語なのだ。

その他のブリテンシリーズのように。これまでの主人公は目に見える傷や障害を持つ青年だったわけだが、この作品でサトクリフは過去の未熟さ故の取り返しのつかない失態という疵を持つ青年がその疵に向かい合い、過去の自分をこえてゆく物語を描き出した。

 

過去の失敗とほぼ同じ状況に置かれて、二度目は判断を誤らなかった。その差は何だろうか、と読み返す。最初の失敗は自分の中の恐れに負けた決断だったのかもしれない。保身に走るというか。このところ、今すぐに決断をくださねばならない場面に置かれてばかりいて、自分だけにふりかかる出来事への決断と誰かが関わる決断の差に恐れおののいてばかりいる。たった一人であってもこの体たらく。あれだけの部下の命を負ったアレクシオスは、さぞや恐怖と後悔と揺らぎの中にいたのだろうと胃が痛いくらいだった。

 

大人になる為には、過ごした年月ではなく、多大なる犠牲を捧げねばならない。

 

物語の終わりに、自身がとても遠くまできてしまったように感じる(=老成)のはおそらく、それだけの苦難と犠牲を強いられたからだ。

 

「あのころは本当に若かった。結局変わったのは彼のほうで、丘陵ではなかったのだ。(中略)まるで長旅をしてきたあとのようだった。」369頁

 

たった一年半前の自分が、とてつもなく若く感じる。

私もまたこの数年アレクシオスのうらさびしくも老成したような心持ちで、長旅のあとのような疲れの中にいる。

そこから抜け出そうともがいているのだが、なかなかすっきりと新しい世界には旅立てない。

 

きっと自分はあの時なにかが壊れちゃったんだろうな、と時折思う。私は私自身の手で私のオオカミを弑したのだろうか。アレクシオスの物語に自分のこれまでの歩みを重ねながら思い起こしてみる。空虚さと、それでも生きていかねば、という諦観。おそらく助走期間なのだろうけれど・・。物語最後のアレクシオスの祈りの言葉が私にも投げかけられているような気がする。

自らのオオカミを弑し、通過儀礼を乗り越えて、本物の「辺境のオオカミ」として生きる道を選んだアレクシオスの、あの祈りの言葉が。

 

 

風景の描写が印象的。

アレクシオスとともに読み手は大自然の中にほうりこまれていく。

 

松明の炎が闇を噛みはじめる夕べに部族の葬儀は始まり、燃えるような金色の空は薔薇色から、灰色に。

日没の最後の光がうつったような翼の三羽の白鳥の羽ばたき。晴れた空にかかる蛾のようにうすい色の夕方の星々。

夕闇を立ち上る霧と、夜の闇。

そして霧の中からかすかなひかりが染みのように現れ、目のくらむような明るさになる朝。新たな世界の始まり。

 

厳しい行軍のただ中、漂う雲間からすんだ大きな湖のような明けかけた夜の空に、姿を現したオリオン。すしづめにつながれる馬たちの微かな動き、枯れた蕨をこえてゆく暗い風のざわめき。

 

物語を読み終えてからも、時折あの光景の中にぽん、と立っている自分に気づく。そんな体験したこともないのに。これまでのサトクリフの作品で、こんなにも描かれた風景に心惹かれたことはあっただろうか。ブリテンの雄大な自然の中で彼らがかつて生きていたのだと信じてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

「王のしるし」で出て来たダルリアッド族がちらっと出てくるのも嬉しい。

 

ブリテン四部作を「第九軍団の鷲」から再読してみるべき・・?そしてまだ未読のサトクリフ作品も沢山ある。彼女が歴史舞台を借りて、何を描こうとしたのか、何を描きたかったのか、そんな風に読んでみるのも面白いかもしれない。幼い頃はただただ物語を追いかけるだけだったけれど。

 

今回、自分は属していないある読書会で「辺境のオオカミ」をとりあげると伺い、手に取った。気になる箇所に付箋をつけながら読んでいく。自分の為だけに読むのと違った楽しさがある!物語は一つの旅であり、その旅を共にできる人がいる喜びはなにものにもかえがたい。読書会報告を拝読するのが、楽しみ♪