ブランクーシ 本質を象る(かたどる)Carving the Essence展・アーティゾンミュージアム(東京)へ。
ルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)の日本初の個展。
彫刻作品20点、フレスコ、テンペラなどの絵画作品やドローイング、写真作品の計約90点で構成された展示。
会場には章ごとの説明のみで、一点一点の作品の説明はなく、番号のみ。題名や制作年度や詳しい説明は全て紙もしくはアプリダウンロードで見る形に。新しい!
説明書きのない会場はシンプルで作品をまず自分の眼で視て感じる、それだけに集中。正面から斜めから真横から後ろからぐるぐると移動して眺めてから、何を表現しているんだろうと想像し、それから題名や作者、解説を読む。「ああ!なるほど」と思ったり、「へぇ~!」と感じ入ったり。そして、再び作品に戻る‥。なるべく作品だけに集中して対峙せねばと思いつつも、ついつい流れ作業のように解説から先に読み作品を視る流れから解放された気がした。(文字に気を取られがち。)
ブランクーシ プライド 1905年(29歳) ブロンズ 光ミュージアム
なんとなく・・ブランクーシ本人と似ていると感じた。モデルは誰なのだろう・・。この角度だと儚げな印象だけれど、正面からはもっとキリリと強い表情だった。
ブランクーシが彫刻家アントナン・メルシエのアトリエに入った年に制作されたもの。
この写真はもっとずっと後。
ブランクーシの作品少女の頭像「プライド」の次にあるターバンの女性の頭像、ずいぶん作風が違うな、と解説を見るとロダンのカミーユ・クローデルだった。
オーギュスト・ロダン カミーユ・クローデル 1889年ブロンズ (アーティゾン美術館)
ブランクーシ 苦しみ 1907年(31歳)ブロンズ (アート・インスティテュート・オブ・シカゴ)
ブランクーシはロダンから高い評価を受け、下彫り工としてアトリエに入ったものの、一か月ほどで辞去したそうだ。「苦しみ」はその年に作られている。「自身の創作上の自由を確保するため」だったそうだが、こうして見比べてみると確かに作風がかなり異なる。
私がブランクーシと出会ったのはまさにキュビスム展で、アフリカの仮面をさらにシンプルにしたような、黄金に輝く楕円の塊「眠れるミューズ」や四角い石の塊の接吻。(印象が異なると感じていたら、所蔵館や作られた年月も異なっていた!京都のキュビスム展を観に行きたくなってしまう・・。)
ブランクーシ 接吻 1907~10年 石膏 高さ28cm (アーティゾン美術館)
接吻はぐるりと回って様々な角度から。
一寸の隙もないように一つに溶け合う恋人同士。
彼(彼女)は互いの腕でしっかりと抱き合って、その手は熱く温かくしっかりと相手を包み込む。
我が身の半身を身のうちに取り込まんと。
身体だけでなく、魂をもかきいだき結びあう2人。
愛の塊、と漫画家の荒木飛呂彦先生(ジョジョの)日曜美術館のキュビスム展特集で解説なさっておられた。石の塊なのに、動き出しそうだ。
背景に会場の人々が写ると、まるで人目も憚らず睦み合う若い恋人達にしか見えず、微笑ましい。
ブランクーシ 眠れるミューズ 1910-11年頃 石膏 19×28×19.5cm(大阪中之島美術館 前期のみ展示)
斜めの表情。なんて安らかな。いい夢をみているよう。
触れたらきえてゆきそうな儚げな横顔。
こんなヘアスタイルだった!!驚き!やはりぐるっと眺められるっていい!!
眠れるミューズⅡ 1923年(2010年鋳造)磨かれたブロンズ 17×29×17cm(個人蔵)
キュビスム展の「眠れるミューズ」とはやや印象が異なり、あれ?こんなだったかな・・?となんとなく覚えていたので図録写真を見比べてみたところやはり違う!!
キュビスム展のものは1910年に鋳造されたもので、髪の毛の溝や目のくぼみがもっと黒くなっていてアフリカのお面のような印象が強かった。つぶっている眼のあたりが、アーモンド型の眼に見え、全体的に古びて感じられる。
こちらはブランクーシの没後、アトリエに残されていたオリジナルの石膏作品から型取りした石膏原型に基づいて鋳造されたものだそうだ。ベル・エポック期の代表的なファッション・デザイナー、ジャック・ドゥーセ所蔵。
キュビスム展でたった一回見た物の印象を、なんとなく覚えているもので視ることってすごいんだなぁ。
若い男のトルソ 1924年(2017年鋳造)磨かれたブロンズ 44×28×15cm(ブランクーシ・エステート)
こんな単純な円筒形なのに、胴体だとわかる!
ブランクーシとの2度目の邂逅はポーラ美術館の「モダン・タイムス・イン・パリ展」で、まるでプロペラの部品のように滑らかに鋭い流線の「空間の鳥」(滋賀県立美術館所蔵のもの)。今回会場にある鳥はその連作。横浜美術館からやってきた。
ブランクーシ 空間の鳥 1926年(1982年鋳造)ブロンズ、大理石(円筒形台座)、石灰岩(十字型台座・ジグザク形台座)横浜美術館
元々はもっとリアルな鳥の彫像に取り組んでいた時にマルセル・デュシャンらと航空ショウに出かけ、飛行機の部品の無駄のない美しさに感銘を受けて造形を限りなくシンプルにシンプルに削ぎ落として最終的にこの形になったという。
初めて観た時は大空を切り裂くように横切る鳥の羽根にばかり目がいっていた。何者にも遮られずに堂々と広げた羽根に心奪われて。
広々とした会場で、雄鶏と少し離れて置かれたそれは、以前ポーラ美術館で見た「空間の鳥」より少々細いような印象を受けた。サイズの確認が出来ず定かではない。図録写真を見比べると違いは感じられない。初めて見た時の堂々とした印象が頭の中にこびりついて離れないから細く感じたのかもしれない。
すらりと流れる曲線は変わらず美しい。後ろに映る影が台座を含めてプロペラそのものと化していて、鳥と飛行機と、大空を翔ける存在が共に内在していると気付かされた。
人は飛ぶ鳥に空への憧れを抱き、翔ぶ為に数多の犠牲を捧げ、遂に到達した空を翔ぶためのかたち。
壮大な物語がここにある。
モダン・タイムス・インパリの感想はこちらへ↓
雄鶏 1924年(1972年鋳造)ブロンズ 92.4×10.5×45cm(豊田市美術館)
早朝の雄鶏のいななきが響き渡るようだ。
堂々と胸を張って鬨の声を上げる雄鶏。
会場の映像はブランクーシの彫刻を制作する様子や、アトリエに飾られる作品がぐるりと一巡する様子、アトリエに訪問した人々、アトリエで作品に囲まれながらダンスを披露するダンサー、様々な短い映像が集められたもの。
アトリエの様子もよくわかり、お時間があればぜひ長めにご覧頂きたい映像(ただ残念ながら2人から3人がけのソファが二つしかない!)
《新生(New Born)》楕円形のブロンズの彫刻が、映像の中ではブロンズの丸い台の上で揺れており、ハッとした。
会場では静止したままでしかないけれど、一度人の手で揺らせばしばらくはひとりでに動き続ける。
生まれたばかりの赤ん坊が絶えず細く小さな手足を動かし、顔を真っ赤にしながら産声をあげる姿がそこに見えた。
その映像を観るまで、精神的な《新生(New Born)》を表現しているのだろうか?と考えていたのだった。(両方の意味を含んでいるのかも)
ブランクーシ 新生(New Born)Ⅰ 磨かれたブロンズ ブランクーシ・エステート
壁面にはブランクーシの作品の写真作品が。
ブランクーシ 小鳥Ⅰ 1925年(東京都写真美術館)
ブランクーシ 世界の始まり 1920年頃 (東京都写真美術館)
ブランクーシ作品の合間に展示される所蔵品たちもとてもよかった!特に印象に残った二点を。
マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクのハコ)シリーズB
1952年、1946年(鉛筆素描)
68点のミニチュア版レプリカ、鉛筆による素描、皮絵師トランク(アーティゾン美術館)
自身の作品で構成されたそれは、持ち運びミニ展示場。
題名も作者もわからず目にして、キュビスムの絵、誰だろう?からの、便座、そして透明なアクリルで上下に仕切られたコラージュ、ん?これは‥あれだ!マルセル・デュシャン!
便座はあの例の!本物の便座を壁面に掲げた物議を醸した作品。
そして透明なアクリル板のコラージュ部分は、
「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも」(通称:大ガラス)!!
これはなんだろう?から、作品の意図を汲み取り、作者がわかる、発見の体験!!題名や作者名がすぐにわからない仕様のお陰で、作品とじっくりむきあって得た発見に心躍る体験だった!!!
ブランクーシの二点の作品の横に立つ黒い木の胴体。
胸にはりんごを掲げた右手が絵のように彫り込まれている。遠くからりんごはまるで心臓のように見え、ギョッとして近づいたらりんごと、リンゴを持つ手だった。
左の太腿部分にはそっとおろした左手が。
オシップ・ザッキン ポモナ(トルソ)1951年 黒檀 高さ131cm(アーティゾン美術館)
会期
2024年3月30日[土] - 7月7日[日]
開館時間
10:00 - 18:00(5月3日を除く金曜日は20:00まで)*入館は閉館の30分前
休館日
月曜日(4月29日、5月6日は開館)、
4月30日、5月7日