円空ー旅して、彫って、祈ってーあべのハルカス美術館開館10周年記念展へ。

 

 

初円空体験は、東京の日本民藝館で。小さくて黒い、木の形を生かして彫りは荒々しく、目や口は一筋で。

すごい!!アヴァンギャルドでカッケエ~~~!!現代作家さん?
・・・いや違った、これが噂に聞く円空かよー?!!と射貫かれた。これがここにある、ということは柳宗悦先生も円空に心奪われた、ということなんだろうなぁ・・・。

 


柳宗悦先生が円空と出逢ったのは昭和31年11月8日。富田孝造氏の案内で鉈薬師堂を訪れた時、荒彫の十二神将を初めて見て、「稀有の彫像に全く驚愕し、圧倒されるほどの感銘を受けた」(「円空仏との因縁」木喰上人330頁 文芸文庫)

 

 

柳先生が円空と出会った時、先生は体調を崩されており、木喰上人を発見した時のように円空の研究に没頭することは叶わなかった。けれど時を同じくしてちょうど円空研究を始められた方々がおり、この仏を広く知らしめねばならない、と強く感じておられた先生は大変に安堵されておられた・・。

単純で素朴で、他者への混じりけのない溢れる愛あるものたちを見出す、柳先生の眼。あれだけの審美眼を持つ方がこんなにも圧倒された円空。もっと知りたい!

 

その矢先に円空展の開催を知る!東京への巡回展はない!大阪へ行くしかない!

 

と、いうわけではるばる大阪あべのハルカス美術館へ。

 

 

 

 

 

入ってすぐに人よりもずっと大きい、金剛力士像が!

大きな丸太の形状をそのまま生かした大迫力の金剛力士に言葉もない。

 

見上げると高らかに笑っているよう。

 

 

 

木の瘤もそのまま生かして。後ろ姿が最高にかっこいい・・。

 

横顔は静かに微笑んでいる。耳をあらわす曲線が美しい。年輪が模様の効果を。

 

明治時代に足元の木が朽ちてしまい、切り落としたと書いてあるそうだ。もっともっと大きかったのか!大大迫力だっただろう。

 

 

 

円空は生涯に12万体の仏像を彫ると誓い、各地の霊場を旅し、神仏を彫り、祈りを捧げて生きた江戸時代の修験僧。現在5400体が確認されている。会場には最近発見されたものも!

 

旅の始まりから、修行の中で作風はより変化していき、すべすべと丁寧なものから、次第にごつごつと荒々しいものへ。

 

流木の形状をそのまま不動明王の炎に見立てたり。

きっと木を見た瞬間に神仏の姿が見えて、それを彫りだしていくような感じだったのだろうなぁ。

 

 

 

読んだ本の表紙になっていた両面宿儺座像(りょうめんすくな)

 

岐阜県千光寺

背面には梵字が。

 

 

 

観音三十三応現身立像(かんのんさんじゅうさんおうげんしんりゅうぞう)岐阜県・千光寺

 

 

一本の彫筋で表現した目と眉。鼻と口もそれほど手はかけていないはず。

しかしなんともいえず、善い表情。ほっとする。愛しい。思えば私が衝撃を受けた日本民藝館の円空もこういうお顔だった。(画像がみつからないので載せられないけれど。この至極単純な線で、心のままに彫り進めたような表情や衣類の線に心奪われたのだった。

 

 

 

かわいい・・・。ずっと見ていられる。

 

 

 

菩薩立像(神像) 岐阜県・千光寺

頭上の突起は冠や烏帽子ではなく、宝髻(ほうけい・菩薩が頭上にむすんでいるもとどりのことだそう)と思われるので、菩薩だろうとのこと。

 

 

 

 

角度によって表情が全く異なる!光の具合によっても表情は大きく変化して見えたのでは。左右対称ではないからこそ、この表情の変化が見られる。

 

地蔵菩薩立像 岐阜県・千光寺

 

おだやかな笑み。

 

同じ地蔵菩薩なのに、こんなにも表情が変化する。優しいお顔だなぁ・・。

 

弁財天座像及び二童子立像 岐阜県・千光寺

 

険しい表情にも笑っている表情にも見える、護法神立像 岐阜県・千光寺

 

金剛童子立像 岐阜県・千光寺

 

狛犬 岐阜県・千光寺 かわいい!!

 

 

賓頭盧尊者座像(びんずるそんじゃざぞう)岐阜県・千光寺

円空が自身の姿を彫ったと伝えられている。表面には長年撫でられてきたような艶があり、「撫で仏」なのでは、とのこと。

ありがたく撫でたくなるようなつるつる加減だった。

 

 

 

護法神立像 岐阜県・千光寺

一本の材を半分にし、さらにそれを半分に割って、木の裏を前面にして彫ったもの。2メートルくらいの像を半日で彫ったという。

 

飛神ノ鉈の かけハひまもなし 守る命は いそきいそきに  ー円空ー

(飛ぶ神の件の影は暇も無し 守る命は急ぎ急ぎに)

 

「救わなければならない命は多いので、暇もなく急いで急いで飛神が券を振るうような勢いで多くの神仏を作らねばならない」

決意に満ちた和歌を残している円空。

 

これだけの大きさのものを半日で。けれど、一彫り一彫りに思いを込めて。これだけの大きさの材木を彫り進めるには力もいる。全力で、しかしすばやく仏を彫り上げていくその原動力は、人々の救い、それだけ。

 


 


木そのものの形を生かし、まるで木から仏が元々生まれでたかのような仏像を信じられないスピードで完成させていった円空。
次々に目の前に現れる神仏に圧倒されるしかない。

美しいものを作ろうとして作っているのではなく、そこにあるのは信仰。そこに無私の美を柳先生は見出されたのだろうな。

 

「円空仏や木喰仏の美しさが何処から湧き出ているかを考えると、実に美醜の判別から発しているのではなく、全く別の泉〈source〉から湧き出たものであることがわかる。美にも醜にも無関心な心、即ち美を求めず、また醜を恐れぬ自在心からその美が湧き出ていると云ってよい。仏教ではかかる自在心を「無礙心」とか「無住心」とか云うが、実にこの「無住心」から、おのずから現れて来たのが、彼らの彫刻の美の一大特色なのである。」

                                    (円空仏と木喰仏 「木喰上人」文芸文庫より)

 

(※無礙(ムゲ)、無住・・心の中の一切の束縛を断ち切った、とらわれのない状態。)

 

 

円空展から帰って、再び「円空仏との因縁」「円空仏と木喰仏」を読む。

先生がご覧になった十二神将の姿や、丈のやや低い合掌する像の記述にくると、観て来た円空仏が目に浮かんでくる・・。そしてそこに感極まって立っておられる先生の姿もリアルに。自分の眼で観る体験の大きさよ。行ってきてよかった。


会場は開館時に既に並んでおり、かなり混んでいた。

音声ガイドは諏訪部順一さん、会場に流れる動画のナレーションは津田健次郎さん!

 

音声ガイドには展示に出ていないとっておきのエピソードも。

千面菩薩像1024体の小像は、昭和47年(1972年)に荒子観音寺で厨子に納められた状態で発見された。開けていいのか迷いながらも、「ええい、ままよ!」と意を決して厨子を開封すると、まるで昨日彫り上げたかのような木の匂いと、小さな木片を最小限の彫りで仕上げた菩薩像が現れたという。そのうち30体が展示されていたが、真新しいような明るい木の色!

イケボで聞く、図録にも展示にもないエピソードに心鷲掴みだった。

 

音声ガイドもかなり工夫されていて、中々に聞きごたえがある・・!

 

 

2024年4月7日まで。

 

 

円空に関して初めて読んだ本↓