ロスコ・ルームを初めて知ったのは、吉本ばななさんの小説「ふなふな船橋」だった。

喪失に継ぐ喪失を重ねてきた主人公が不思議な出会いに導かれるように、本来の自分らしい生き方へと向かってゆく復活と再生の物語。

 

借金を作って失踪した父。母は恋人と再婚。15歳の立石花は船橋の叔母の元に身を寄せ、暮らす決意をする。

12年後、大好きな本に囲まれ書店の店長を勤めながら、身体の弱い優しい恋人との結婚を考えていた矢先、恋人の心変わりを知らされ打ちのめされるところから物語は始まる。

 

花は一風変わった親友・幸子と、このロスコ・ルームで出会う。

幸子は小さい頃交通事故に遭い、右手の動きが悪く指の数が少し足りない。出歩くのが億劫になって、出版に携わる両親の仕事を手伝ったり、特技のタロット占いを頼まれた人たちにしたりしながら、実家の二階に住んでほぼ出歩かずに暮らしている。


DIC川村記念美術館サイトよりお借りしました↑

 

「幸子と初めて会ったのは、佐倉にある川村記念美術館の中のロスコという画家の部屋だった。

 そこには日本で唯一、彼のシーグラム壁画と呼ばれる絵で埋め尽くされた部屋がある。

 深い赤とまるで燃え立つような絵の生命に圧倒されて、私は真ん中のソファでひとり、まるでその絵たちを吸い込むようにじっと長い間座っていた。」

 

そこへ、黒いドレスを着て、ポニーテールに黒ぶちめがねの幸子が入ってくる。

幸子がその絵に圧倒されたことが、その目の光でわかり、2人は同じ空間にしばらく身を浸す。

 

「ほんとうに水がしみこむように、その赤が体にしみてくるのを私も感じていた。」

 

 

「よかったら、30分くらいお茶を飲みにいかない?」幸子にそう誘われて、花と幸子は頬を染めてマーク・ロスコについて語り合う。「ロスコが自分の描いていたものは皆神殿だと語っていたことなどについて、長い話を」

 

なんて印象的な出会いの場面なのだろう。

 

読み返す度に私はロスコの赤い壁画に埋め尽くされた部屋を想像した。

 

 

とはいえ、その遠さに中々行く気にならなかったのもあり、何年も経ってしまった。

 

行こう!と思い立ったのは、「モネ連作の情景展」を観たからだ。

 

モネの睡蓮で埋め尽くされたオランジュリー美術館の一室が、完成した当時はほぼ見向きもされず、(当時はキュビズムが全世界を制覇しており、印象派は古いとされた。)後世、カンディンスキーやマーク・ロスコによって再発見されたと知ってからだった。

 

そんなことは知らなかった。

 

「睡蓮」は日本の各地の美術館にあり(13の美術館の所蔵)誰でも知っている、すごい作品であり続けているのかと。

 

しかしそんなことは決してなかった。モネですら時代の流れの中で消え去りかけていたのだ。それはとてつもない衝撃であった。オランジュリー美術館のあの部屋にほんの数人しか来ないなんて!今や世界中であの部屋へ行く為のツアーが組まれ、人々が足を運ぶ場所だというのに。

 

モネを再発見し、刺激を受けたマーク・ロスコとその作品で埋め尽くされたロスコ・ルームを体験しに行かねば、と烈しく思ったのだった。

 

しかしてその感想は。

 

「ばななさん、好きそう」だった。

 

思っていたような燃えるような赤ではなく、むしろどすぐろい血のような赤で。

鉄の匂いがしてきそうな不穏な赤だと思った。

 

私はこの部屋では落ち着かない。ちょっとこわい。

 

重くてざわざわするような紅。

これが神殿だとすると、供物を思い浮かべてしまう。

 

神と崇められる存在に、惜しげなく捧げられる供物。

祭壇から流れ出る夥しい供物の血。

 

ここには情欲と死の匂いが満ちて。普段隠し持っている奥底のどろどろとした感情が噴き出てのさばっているような。

 

高級レストランの壁の為に描かれた壁画と知って驚いた。食欲と様々な欲望渦巻く高級レストランにはぴったりだったかもしれないけれど、この壁画を眺めながら美味しい食事はできるだろうか?(レストランが気に入らなかったロスコは、一方的に契約を破棄する。)

 

サスペリアにとても影響をうけたばななさんらしいな、とも。彼女はきっとこういう赤の世界に生きているんじゃないかな、なんて考えながら、幸子と花が座ったソファに座って、ロスコの訴えかける赤に身を浸してきた。

 

きっと、ここではどんなことを感じてもいいんだ。

私はちょっとこわい、だったけれど、静かに満たされる人もいるだろうし、自分の中の熱い怒りに気づいて解放される人もいるかもしれない。

何を感じてもいい、そういうものだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私に関心があるのは、人間の根底にある感情 -悲劇、恍惚、死などを表現することだけなのだ」

                            マーク・ロスコ

 

・・そうか、あの赤い世界は、人間そのものの全てを内包する神殿だったのかもしれない。

 

ともあれ、幸子と花ちゃんの出逢った空間に私も身を浸すことができたのは嬉しい。二人はどの辺に座ったのかな?と考えながらソファに長い時間座って、壁画を眺めてきた。

 

 

 

もしも一冊だけ一番好きなばななさんの作品をあげて!と問われたら、「ふなふな船橋」にするだろう。何度も危機を救ってもらったし、大変な時期を過ぎた今でも時折読み返してしまう。

 

ロスコ・ルームも「ふなふな船橋」をこんなに読み返していなかったら、観に行こう!と思い立ったかわからない。

 

ばななさんは、ほぼ年齢も変わらないのに沢山の体験をしていて、いろんなアーティストをご存じで作品を通して好きな世界を私に教えてくれる。尊敬すべきひと。ふなふな船橋を再び読み返す時、2人の出会いの場面はよりリアルに、あの空間に立っているかのように思い出せるだろう。行けてよかった。

 

 

 

 

 

 

「ふなふな船橋」の感想をブログに二回書いている。この時期は認知症の両親の施設入居&実家売却の年で、読むものといったらばななさんしかなかった。今回ブログを探し出して、2018年って随分昔じゃない?もうそんなに経っちゃったの?と驚いた。あっという間に5年が経って、過去になって、寝込んでばかりいた日々も過ぎ去って、こんな遠い川村記念美術館に行けるくらい元気になっていて、ロスコ・ルームの壁画、自分にはちょっと怖いだのなんだの・・人生ってわからないものだ。当時はロスコ・ルームに行こうとか考えもしなかったし、行けるとも思っていなかったのだから。

 

また再びあの場所を訪れる時、私は何を思うのだろう。あの赤が怖くなくなるだろうか。

 

 

追記・・2024年8月28日

 

DIC川村記念美術館が閉館、もしくは移転との発表が。しばらく倒れ伏していたけれども、反対の署名がいつのまにか。一滴でしかないけれど、署名で協力させて頂いた。何か、何かできたらと思って。ずっとずっとあの場所にあってほしい。あのシーグラム壁画にまた会いに行きたい。時間を置いてあの部屋に行った時、今度は何を感じるんだろうか?と楽しみにしていた。あの場所にあの部屋がずっとあると思っていたことが、そうではなかった、それが本当に悲しい・・。

 

そして署名へ寄せられたメッセージには、とても心が疲れた時にこのロスコ・ルームの存在に助けられたという方がとても多い。心が静かに凪いでいったり、自分との対峙だったり・・。誰かをたくさん支えてくれた場所だったのだなぁと改めて。

 

あの時、私はちょっと怖い、落ち着かないと感じたけれど、あれから沢山の旅をして、もしかしたら深く沈んだ赤にたゆたう時間に深く深呼吸できるような気持ちになるかもしれない。情欲とか憎しみとか恨みとか哀しみとか、そういうものを経て辿り着いた地平であの赤を自分の内に取り込めるんじゃないかと。それこそ、ばななさんが書いているように、「ほんとうに水がしみこむように、その赤が体にしみてくるのを」私も感じられるかもしれない。

 

 

 
 
佐倉市でも署名開始!こちらは9月30日まで!