1923年、民間最大の美術団体だった日本美術院の洋画部を脱退した画家たちが創立した「春陽会」

新進気鋭の画家たちが加わり、油彩だけではなく、版画、水墨画、新聞挿絵の原画などが形式にとらわれずに出品され、帝国美術院、二科会に拮抗する第3の洋画団体として100年後の現在も活発に活動している。

 

その100年の歴史を50名近い画家たちの作品から辿る展覧会。収蔵先も50か所から。春陽会にとっては、大規模な、そして歴史的な展覧会、なのだろう。

 

展覧会を見に行って、初めて知ったことの方が多い。

まだまだ勉強不足だなぁ、とその都度思う。こうして展覧会に出かけていくことが、ひとつの点となり、いつか線になるといい。

 

 

 

岸田劉生の麗子像のひとつ。「麗子弾弦図」初めてこの目で見た!教科書に載っていたちょっとこわいおかっぱの女の子の絵というイメージが強かったけれど、岸田劉生がとても可愛がった娘さんであるとか、その辺の話は山田五郎さんから教わった。

 

面白いのでぜひ↓

 

長唄のお稽古をしている麗子像。長唄は「黒髪」

 

黒髪の 結ぼれたる思いには

溶けて寝た夜の枕とて ひとり寝る夜の仇枕

袖は片敷く妻じゃというて

愚痴な女子の心も知らず しんと更けたる鐘の声

昨夜の夢のけさ覚めて 床し懐かしやるせなや

積もると知らで 積もる白雪

 

こんなちいさな女の子が練習するには、ちと大人の唄である。

絵の上の方にもこまこまと字が書いてあり、これは岸田劉生の尊敬するデューラーという画家が自身の描く絵に文字をたくさん書き込むのでその影響を受けている、とやはり山田五郎さんが仰っていたのを思い出しながら絵を眺めていた。

 

この頃の絵がみな薄暗いのも、当時はやった絵の具がこのような色合いになる絵の具だった、などという話もそうだ。

 

知らないよりも知っているほうが楽しく見れる。

 

 

 

木村宗八「私のラバさん」舞台のライトに照らされた恋人たち。艶々した色が艶やかな陰影をもたらす。舞台の一場面なのだろうか、背景の黒と白と赤がまたモダンで素敵な作品だった。

三岸節子の自画像!いつか見たいとおもっていた作品。そうだ、春陽会に出品していたのか、と合点がいった。何かの展覧会に出してよい評価を受けたことだけ覚えていた。きりりと前を力強く向く自画像。何かを覚悟したような。(それにしても三岸節子さんとても別嬪さんである。)金色の豪華な額に負けていない。

 

 

 

 

岡 鹿之助 「魚」

 

岡 鹿之助「窓」

 

絵本にあるような絵はおだやかで優しい。(想像以上に大きかった。)

 

 

 

時折作品に、画家の言葉が添えられていた。心に残ったものを。

 

 

「小生には芸術、音楽、詩歌というものが、単に個人のもの、地上のものでなはなく、大宇宙の深遠な理、又そのリズムとの密接な関係によって生まれる如く思われるのです。」長谷川潔

 

 

「私は技術というものを第一に考えなかった。描きたいものがあれば必ず技術はついてくると信じてきた。描きたいものがはっきりしないから描けないのだと思う。とにかく描きたいものがあれば描ける。下手、上手は後のことだ。研ぎ澄ませ、眼を、と自分に問う。」中川一政

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年11月12日まで。

 

秋晴れに東京駅が映えて美しかった。

 

やはり東京ステーションギャラリーは落ち着く。

静けさに満ちたギャラリーの中にいると、力が満ち満ちてくるように感じられる。特に階段が好きだ。いつ来てもあたたかく迎え入れてくれる。

 

 

 

 

2023年11月23日まで。