会期も終わりに近い為か、並ぶ程ではないが、ひっきりなしに来館者が。

 

年に一度の邸宅の公開。開館40周年の展示は朝香宮邸時代の再現。調度品や工芸品を眺めることが出来、会期中は撮影OK。

 

 

 

 

 

 

 

普段見れない部屋はどのような?胸が高鳴る。

 

玄関にはラリックの女神像、床はタイル貼り。ラリックがまだ生きていた時代に、朝香宮邸の為にデザインされ制作された大作。

 

 

(裏から)

 

 

東の果て、異国の皇族の邸宅を飾る、邸宅の顔ともいうべき作品を依頼され、ラリックはどのような思いで引き受けたのか。

胸が熱くなる。

 

この扉は宮家の方々だけが使っており、もちろんラリックのこれだけ大きな作品の価値をわかって大切に扱っていたものの、ある時ひびが!!それ以来宮家の方々もこの扉を使わずに右横の出入り口を使ったのだそうだ。

 

香水塔はアール・デコの象徴さながらに、堂々と。

 

この香水塔はアンリ・ラパンのデザイン。元々は噴水器で、照明の部分に香水を施し、香りを漂わせたという逸話から、香水塔と呼ばれるようになったという。

 

 

 

 

当初100キロの重さがあった香水塔は、一時撤去されバラバラになっていたものを修復し設置。2011年に再び3年の月日をかけて修復・設置し直しているそうだ。地震が突然きたとしても、来館者を守るために人知れぬ努力がここにある。

(「旧朝香宮邸物語 東京都庭園美術館はどこから来たのか」より。)

 

 

 

窓のカーテンのドレープは、日差しを柔らかな光に変える。

 

 

ガラスのシャンデリア。ギザギザとしたガラスの連なり。みたことのない形。首がいたくなるまで見上げてしまう。

 

 

香水塔の広間の横の小部屋。初めて入った。ここにこんな部屋が!!壁紙はアンリ・ラパン。

この壁紙の修復作業がとてつもなく困難な、気が遠くなる時間と労力をかけて完成されたと後日「朝香宮邸物語」で知り、次にこの部屋を見る時はもっと深い感動があると思う。それこそ無名の職人さんたちの努力と技術の結晶。なんの苦労もなくただここにあったわけではない。

 

 

こんな花瓶が。

 

 

広間の扉もアール・デコなデザイン。

 

 

奥の食堂にはラリックの照明。パイナップルと柘榴。

一階の広間は来客用に使われ、普段はこの食堂だけが使われ、宮様方は2階で暮らしていたという。

 

 

ラジエーターカバーや排気口のデザインに唸る・・・。

 

 

ため息しかでない。

 

以前には目に入らなかったものが目に入り夢中でシャッターを切る。

 

階段の踊り場の天井には、ステンドグラスの影が揺れる。

 

意匠をこらした階段。

赤いふかふかの絨毯の感触を楽しみながら優雅な気持ちで二階にあがる。

 

 

 

 

 

受付や図書室の部屋は職員が使用していたそうだ。当時庭はもっと広く、官舎や生き物の小屋があり、白孔雀や鶏、様々な生き物が飼われていた。

 

緑の庭に放し飼いされ、時に求愛行動で真っ白な羽根を広げる様はさぞかし美しかったろう。

 

バルコニーからその様子が見えたり、孔雀がバルコニーまで舞い上がってくることもあっただろうか。

 

車寄せの上にある姫宮殿下の部屋のバルコニー。時折ここにでては外を眺めたりなさったのだろうか。

 

 

 

どの部屋も美しい。なにもかもが、ふつうでなく。

浴室ですらこんなにも美しい。

温室だったという部屋。モダニズムの極致!黒と白の市松模様の大理石にモダンな赤のテーブルセット・・・たまらない。

 

 

一つとして同じ照明がないことに、写真を撮影しながら気づいて興奮を抑えられなかった。

これも違う、あれも・・また違う!!どうなっているのだろう、すごいこだわりと美意識!床にくずおれそうだった。

 

旧朝香宮邸物語で鳩彦殿下次女大給きよ子さんへのインタビューでこの件について話されているが、よく覚えてらっしゃらないとのことであった・・・。きっとお母様の充子妃と鳩彦殿下がお決めになられたのだろうなぁ・・。

 

 

 

なんて優雅で美しい邸宅。ここで暮らす優雅な宮様方を想像し、ただただうっとり。

 

けれども、この美しい邸宅に心血を注いだ充子妃は、邸宅が完成し移り住んでたった半年後に42歳の若さでこの世を去ってしまう。永遠に優雅な生活を送っていたわけではないのだ。

 

一人、また一人と家族が新しい家庭を築き去って行き、戦争が終わると、朝香宮家は皇室離脱を余儀なくされ、鳩彦殿下は熱海へ。この邸宅は吉田茂首相の官邸に。その後は迎賓館→結婚式場などの白金プリンス迎賓館と変遷を経て、東京都庭園美術館として新たに誕生する。

 

朝香宮鳩彦殿下がこの邸宅に住んでいたのはわずか14年。決して優雅なだけではなかった。

 

 

 

数奇な運命の邸宅がここにこうして建っていること、それは当たり前のことではなく、この邸宅を守ろうとする名もない人々の志と情熱と悲願とが隠されている。

 

 

 

 

新館での展示はボンボニエール!↓