アメリカ横断ウルトラクイズを全部で17年間に亘り関わってきました。
ロケ、ロケハンで世界各地を歩いて、訪れた地は数知れず、日本人が滅多に行かないような場所にも行ってきました。
私は番組の構成作家ですから、当然訪れた場所の資料は沢山買い集めました。
本やパンフレットだけでも可成りの量になっていました。
これらの資料は当然番組に生かすため、その頃は整理して保管していました。
ところが私は物を集めて大切に保管するような事が苦手だったのです。
今思えば残念な事ですが、何年か経過した資料は、片っ端から廃棄していたのです。
そうでもしないと棚や資料庫が一杯になって、他の資料が置けないからです。
ウルトラクイズの放送テープにしても膨大な量が有りましたので、10年位前に全部廃棄処分にしてしまったのです。
従って私の手元には一本の映像も残っていません。
つまり、昔を懐かしんで、いつまでもヒット番組の事を思っていたのでは、新しい企画の邪魔になってしまう、と強がっていたのでしょうね。
その他にも、ウルトラの資料を残さなかった理由があります。
私が放送作家の後輩や、会社の社員にウルトラの話をすると、明らかに嫌な顔をするのです。
つまり、彼らには私が関わったヒット番組の自慢話に聞こえるのでしょうね。
年寄りが若い頃の自慢話をしている、その様な図式でしょう。
それを感じてからは、私は身内にさえウルトラクイズの話はしないように暮らしていました。
現在ブログを書いていて、それらの資料が残っていればどんなに役立つか、後悔していますが、当時はそこまで気が回らなかったのです。
資料が少ない上に、日記を付ける習慣が無いのですから、思い出すのに苦労をします。
そこで、今日は私がロケハンで味わった恐怖体験を書いて見たいと思います。
我々はロケハンで罰ゲームの案も探していました。
例えば第13回のニュージランドで、バンジージャンプを発見しました。
しかし、私も同行のk氏も、l氏もこれに挑戦する事が出来ませんでした。
数十mの釣り橋の上から、谷底目がけて頭から飛び込むなどという冒険は、恐怖心が高まって、とても出来るものではありません。
私達が出来ない事を敗者に押し付けるなど、テレビの制作者がやってはいけません。
従って、この罰ゲームは、実行直前の恐怖心をたっぷりと描き、直前にストップという、ドッキリ・スタイルで収めました。
敗者は恐怖で失神寸前、大いに笑える罰ゲームでした。
ところで15回のロスで、恐怖の罰ゲームがありました。
当時人気のドッグファイトを体験させるという罰ゲームです。
ドッグファイトとは、軽飛行機が2機、上空で空中戦を行い、どちらかを撃ち落とすというゲームです。
勿論、本当に飛行機が墜落するわけではありません。
2機の飛行機が空中戦を演じ、ミサイルを撃ち合って命中させるというお遊びです。本物のミサイルではなく、レーザー光線を撃ち合って、3発当てられると錐もみ状態で墜落してしまいます。
上空何千mで行うゲームですが、私はこれを体験する事になったのです。
私は演出のk氏と、2機に分乗して体験しました。
軽飛行機とはいえ、上空で空中戦が始まると、恐怖心が高まってきます。
特に錐もみ状態で落下する場面ではGがかかり、体中が押しつぶされそうな圧力を感じます。
勿論、顔はひきつって、後で写真を見ましたが情けない状態でした。
この罰ゲームは我々が体験し、安全を確認しましたので当時最年長(50歳)の会社の部長さんNさんが体験させられました。
Nさんにとっても生涯忘れられない恐怖体験だったでしょう。
でも、これも過ぎてしまえば良い体験でしょうね。
人生でそんな思い出が一つや二つあった方が楽しいでしょう。