アメリカ横断ウルトラ・クイズでは、毎年数多くのクイズ問題を作りました。
クイズ問題に、細かな定義などは有りませんが、私は問題の責任者でしたから、当時から問題を作る作家の皆さんには、或る一定の方向を決めて注文していました。
それを思い出しながら、どのような注文をしていたのかを今日のテーマにしたいと思います。
クイズは、人間の記憶力を競い合うゲームと言っても良いでしょう。
記憶力ですから、分野は問いません。
学校の教科で分類すれば、国語、算数、理科、社会、歴史、どのような分野でも良いと思います。
但し、私は答を聞いた人が、「なるほどねえ」「そうだったのか」というように、驚きや感動を与える問題を作るように注文していました。
言葉を変えると常識の盲点を突いた問題が望ましいという事かも知れません。
常識を常識通りに答えたのでは、視聴者に「何が面白いの?」と文句を言われてしまいます。
やはり、視聴者が「へー、そうだったのか」と感心する方が、番組として喜ばれるのは確かです。
その様に常識の裏を狙うと、問題作りは中々難しくなります。
でも、その難しさを超えた処にこそ番組の価値が出て来るのだ、とクイズ作家の皆さんに毎年繰り返し注文していました。
無いものねだりで、無理な注文は十分承知の上での事です。
お蔭で何年経っても忘れられないような面白い問題が沢山作られました。
先日、このブログでご紹介した「ペンギンもしもやけになる」のような、面白い問題が出来ました。
また、クイズ問題は答を聞いて楽しいものが理想でしょうね。
事件、事故、なども記憶の片隅にありますが、その様な正解が出ても楽しくありません。
例えば日本でも暗殺という手段で亡くなった総理大臣がが何人もいますが、それを答えにリレークイズのようなものは、当然不採用にしていました。
また、最近のテレビ番組で、タレントが参加するクイズですが、答えられないのが当たり前、というような難問を出すのが流行っているようです。
例えば果物、野菜、動物、鳥などの難解な漢字の読み方です。
確かに日本語の辞書にはその様に表記されていても、実際の果物屋さん、八百屋さん、スーパーなどで、その様な文字を見た事もないようなものをクイズの問題にして、「どうだ、知らないだろう?」といった制作者の驕りが見え見えな問題は、見ているだけで腹が立ってきます。
その様な難問でも、納得出来る解説があるなら許されるでしょう。
そこに新しい発見があり、見た人が一つお利口になるからです。
でも、私が見たクイズではその様なフォローは何も有りませんでした。
クイズの答えは、誰もが頭の片隅にあって、しかし咄嗟に思い出せない、その辺の問題が面白いのです。
正解をを聞いても「へー、初耳!」というような問題は、あまり面白いとは言えないのでしょうね。
視聴者が一緒に考えられて、答えを聞いたら意外な事実が解る、それこそが理想の問題だと思うのです。
視聴者を置いてきぼりにして、秀才だけが正解する、そのような番組はクイズマニアにしか歓迎されないでしょうね。
但し、ウルトラクイズでも毎回、準決勝、決勝戦だけは超難問を羅列し、クイズの名人戦のような狙いで作っていました。
それは、視聴者もプロの試合を楽しむ感覚で喜んでくれたと思っています。
番組に緩急つける、ということですね。