ダラスの熱い日 | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ウルトラクイズの思い出を書いていますが、ロケの状況を振り返ると、暑い場所で汗を流しながら、ロケを行っていた印象が非常に強いのです。
多分、ロケが行われたのは毎年9月だったので、晴天が多く、特に砂漠地帯が多かったために、個人の印象としては暑さの中での作業が強い思い出になっているのでしょう。
そのような中で、特に強く残っていたのはダラスの熱い思い出でした。
ダラスはケネディ大統領の暗殺で、我々には印象の強い場所でした。
確か、この暗殺をテーマにした「ダラスの熱い日」という映画もあったように思いますが、そのような先入観もあって、ロケ当日も暑い中で行われていました。
第6回の第9チェックポイントでした。

Dallas_Downtown


々のロケは「モービルホーム」と呼ばれる、車輪の付いた移動式の組み立て住宅の中で行われました。
このハウスを公道で移動させながら、クイズを行ったのです。
当時は、このモービルホームその物が珍しかったので、アメリカの生活を紹介する意味も含んでいたのです。
照りつける太陽の下、道路を走りながら3ポイント先取の早押しクイズでした。
クイズそのものは、何事も無く無事に終了しました。
本番の終了後、我々は上半身裸で、汗を拭きながら後片付けをしていた時、気を利かせたコーディネーターが冷たく冷えた果物を差し入れてくれたのです。
スタッフは大喜びで、それぞれが果物を口に運んでいました。
暑い中での冷たい果物は最高の贈り物です。
司会の福留さんも、冷たく冷えたぶどうを食べたそうです。

ころがこの後に問題が起こりました。
ホテルに着いて、一旦シャワーを浴び、さっぱりしたところで、翌日の打ち合わせも兼ねて、福留さんの部屋を訪ねたのです。
すると彼が
「変だよ、どうなっているの?」
と姿を見せ、彼の顔を見て、私も仰天しました。
顔が大きく腫れ上がり、間もなく息も苦しいと訴えているのです。

のような事態に備えて同行のドクターがいるのですが、ドクターもあまりの状況に救急車の出動を要請したのです。
幸い、ダラスという大都市だったお陰で、直ぐに救急車も到着し、病院に運ばれました。
処置が早かったので、大事には至らず収まりましたが、原因は葡萄に付着していた農薬のせいだとの事でした。
福留さんの状況は顔の腫れだけでなく、器官も腫れて息が苦しかったそうです。

福留さんの顔の腫れは、1日2日では収まらず、次のニューオリンズでは、顔の撮影はせずに声だけの出演となりました。
勿論、放送の時には別撮りした顔と差し替えますので、視聴者の皆さんには気付かれることも無く進行しました。
スタッフは、どのセクションもイザという時には交代要員が居ますが、画面に出る司会者だけは、そうは行きません。

そこで、この事態を切っ掛けに、次の第7回以降は司会者の控えとして、日本テレビのアナウンサーが必ず一人同行するようになりました。
そのため、クイズ形式も同行アナを生かす方法として、2重音声クイズのようなものが考えられるようになったのです。
外国を1ヶ月も旅をしているわけですから、思わぬアクシデントは付き物でしょうが、ウルトラクイズの場合はこの出来事が最大の危機だったように思います。