栄光の罰ゲ-ム? | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ウルトラクイズの名物に罰ゲームがあったことは、ウルトラファンには広く知られていました。
クイズに負けた罰ですから、ご本人にとっては屈辱的なゲームなのは間違いありません。
狙いは、体力的に苦しい体験、恥ずかしい体験、恐怖の体験、といったような事が、罰として敗者に科せられ、その様子を視聴者は同情しながらも、笑ってしまう、というのが基本的なコンセプトでした。

中にはクイズの勝負よりも、罰ゲームの方が印象に残ったなどという、主客転倒もしばしばありました。
我々番組の制作陣も、クイズ形式と共に罰ゲームの案には、力を入れて考えたものでした。
そのような中で、ある種の人から見れば「罰」というよりは、むしろご褒美のような、体験も多数あったように思います。

の典型的な例が、第8回の準決勝フィラデルフィアでの、罰ゲームだったように思います。
この街は、アメリカ合衆国の出発点とも言える都市でした。
アメリカ憲法発布の舞台であり、第一回の国会が開かれたのもこの街だったのです。
アメリカ銀行も、病院みんなこの街で誕生して、全国に拡がって行ったという歴史がありました。
この街の中心部に、赤レンガのジョージ王朝様式の立派な建物がありました。
植民地時代ペンシルベニアの議事堂だった建物で、インディペンデンス・ホールです。


ウルトラクイズは、この建物の前面に広がる芝生の広場をクイズ会場にして、準決勝が行われ、2人の敗者が決まりました。
このフィラデルフィアには、当時もう一つの名所がありました。
映画ファンにはおなじみ、あのシルベスタ・スタローン「ロッキー」の舞台だったのです。
そこで、ロッキーがトレーニングを重ねた映画の舞台、博物館前の大階段で、ロッキーと同じように生卵を五個いっぺんに飲まされ、トレーニングのしごきを受けたのでした。

rocky


これで終わり?

いやいや、罰ゲームの本番はこれからです。
ロッキーの舞台ですから、この街は元々ボクシングが盛んな街だったのです。
そして、街一番の有名なボクシング・ジムに連れて行かれました。
そこが、元世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・フレーザーのジムだったのです。

ジョー・フレーザー


みにジョー・フレーザーは64年の東京オリンピックで、ヘビー級の金メダリストとして、世界一強い男として有名でした。
機関車のような突進力とスタミナを備え、左フックを得意技としたボクサーです。
ボクシング界で、彼の名を高めたのは伝説の男、モハメッド・アリを初めて敗北させた男としての功績です。
そんな、世界ボクシング界憧れの男、ジョー・フレーザーご本人が、直々に敗者のスパーリングの相手をしてくれると言うものでした。

彼の殺人パンチが、敗者の顔面を捕らえたら?
こんな恐ろしい罰ゲームはありません。

かし、ボクシング・ファンから見れば、この体験は罰ゲームどころではありません。
若しかすると、優勝賞品に近いほどの貴重な体験だったかもしれませんね。
ジョー・フレーザーさんは、2011年に肝臓ガンのため亡くなっています。 合掌

Joe_Frazier