アメリカ横断ウルトラクイズは、クイズに勝って駒を前に進める、これが大原則でした。
しかし、17回の歴史の中で、この原則が破られそうになった事が1度だけありました。
それは第7回(83年)の時に発生したのです。
あの通過するのが難しい第一次予選の○×クイズ。
成田でのジャンケン。
更に機内の難関ペーパークイズ。
これ等を戦わずにグアムまで進む特典を持った人物が、この回に参加して来たのです。
「ええっ。そんなバカな!」
と思われるのは御尤もです。
一体何の権利があって、そのような人物が出てきたわけ?
実は、その前の年82年の大晦日に放送された「ウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦」で、7万人の敗者の中から、見事優勝した「クイーン・オブ・敗者」のSさんが、その人だったのです。
しかも、この権利は番組内で優勝賞品として、全国に放送されていたのですから、約束を反故にする事は出来ません。
尤も、敗者復活戦の優勝賞品にそのような特典を与える方が、可笑しいという意見も当然あります。
確かに、この賞品に関しては、賛否両論ありました。
会議では激しい攻防戦がありましたが、最終的に、敗者の中の最高の敗者なのだから、その位の特典はあっても良いと、訳の解らない理屈が通って、採用されていたのでした。
もし、このSさんがグアム以降もどんどん勝ち進んで行くと、それまでの番組の伝統が崩れる事になります。
何故って? ウルトラクイズは全てのチェックポイントを勝ち抜いた人が頂点に立つ、というのが売り言葉になっていたからです。
そんな我々の心配を吹き飛ばしてくれたのは、グアム空港での出来事でした。
機内ペーパー・クイズの勝者は40名、それにグアムから参加する「クイーン・オブ敗者」のSさんを加えて、41名が飛行機から降りる事になります。
しかし、次に用意されていた「グアム名物の○×泥んこクイズ」に、参加出来るのは40名ポっきりです。
と、いう事はは1人人間が多いのです。
そこで、対策として機内クイズの得点最下位の人と、Sさんの二人で勝負をして頂き、勝った方がグアムの地を踏んでもらうという案が出てきました。
(これは、最初から計画されていたのですが)
しかし、やっぱり思い通りにはいかないもの。
機内クイズの最下位は同点で2名いたのです。
結局は3名での○×クイズです。
その時の問題は、しつこくも再び、自由の女神に関する問題が2問でした。
問①
アメリカの人々が贈ったパリ、セーヌ河に有る自由の女神は、ニューヨークの方を向いている。
問②
ニューヨークの自由の女神の台座には、メードイン・フランスと書かれている。
答え、1は○ 2は×
この対決では、Sさんが敗れてしまい、哀れ機内の人となり、即日帰国して行ったのでした。
これで、ウルトラクイズの特典は幻の如く消え去ったのでした。