アメリカ横断ウルトラクイズでは、第一問目の問題が自由の女神として、定着していました。
そのために自由の女神といえば、ニューヨークというイメージを盛り上げてきました。
今的にいえばニューヨークのイメージを高め、大いに宣伝をしたわけで、ニューヨーク市長から感謝状をいただいても良いくらいのものでしょうね。
この自由の女神がウルトラクイズに初めて問題として登場したのは、第2回目でした。
でも、最初はウルトラクイズの代名詞になるなんて、誰も考えていませんでした。単にニューヨークで有名な物を第一問にしようという軽いのりで作られたのが、記念するべきあの問題だったのです。
問 「ニューヨークの自由の女神がたいまつを持っているのは左手である」○か×?
答 ×
今でこそ自由の女神は、あらゆる角度から研究されているので、このような易しい問題では落ちる人もいないでしょうが、最初の頃は、これでも充分に難しい問題だったのでした。
そして、自由の女神がウルトラクイズの看板になりだしたのは第4回目からでした。
「ニューヨークの自由の女神は石で出来ている」
これは銅像ですから×が正解でした。
第5回は「ニューヨークの自由の女神は裸足である」
これは、サンダルを履いているので×が正解でした。
この頃になると、前年に出された問題関連として、研究してきた人も居るだろうと予想しました。でも、まだその当時はクイズ研究会も無かったのか、正解者の方が少なかったのです。
ここで我々は、自由の女神を、この先も第一問にしようと会議で検討したのです。
その結果、自由の国アメリカに相応しい。
ニューヨークに在って誰でも知っているし、番組の象徴になる。
この像が出来るまで、或いは贈呈されるまでの間に、エピソードがいろいろあるだろう。
それらの中からクイズ問題を作れば、まだ5年や10年は行けるだろう、と浅はかな考えでスタートしてしまったのでした。
ところが、世の中はままになりません。
我々には思いもかけぬ誤算があったのです。
というのは、ウルトラクイズで「自由の女神」が話題になるや、その関連の本が次々と発売されてしまったのです。
しかも、クイズの参加者達の中には、「自由の女神」の本を大事に抱えて参加してくる人達が増えていたではありませんか。
そうなると、本の中に正解の記述があったりしたのでは、あのドキドキ感も興奮も生まて来ません。
従って我々としては、本に記述が無い事象を見つけて、それを問題にしない限り、第一問としては成りたたない事を思い知らされたのです。
だから、日本では何時から女神と表現されたのか、自由の女神の除幕式の状態、この式典に招待された人物、このように自由の女神関連の本がまだ取材していない事象を見つけ、そこから問題を制作するという苦難の道が始まってしまったのです。
毎年、問題制作者にはノルマを与えて自由の女神問題を作らせ、この数は200問~300問という膨大な数になっていたのです。