アメリカの出発点ドミニカで思うこと | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ルトラクイズは、その名の通り毎年アメリカ各地を横断して、クイズを行なってきました。
クイズ地を選ぶために、毎年ロケハンという名目で、各地を旅してクイズ会場となる場所を探し、実際に目で見て決定に持ち込むという手順を踏んで進行していました。
各地を訪ねるには、何らかの理由が必要になります。単にその場所に行ってみたいから、という理由では会社側の許可は出ません。我々は、毎年ロケハンの前に、その場所に行く理由を考え、それに沿ってコースを決めていたのでした。
第15回で、カリブ海の楽園の島、ドミニカ共和国へ行きましたが、その時の理由は、アメリカの出発地点を見てみようというこじつけでした。

Dominican_republic


1492年、かのコロンブスが黄金の島、ジパングを目指してスペインを出発、90日後に辿り着いたのがこの島だったのですね。これは中学校の教科書で習ったので、誰でも知っている常識。それをやっと思い出して、ドミニカをロケハンの地に選びました。

年なら、WBCがらみで話題の国ですから、視聴者だって「どんな国?」と興味をもたれる事でしょうね。
もっとも、当時も野球の盛んな国という認識は皆さん持っていたと思いますよ。
例えばアメリカのメジャーで、当時スーパー・スターだったサミー・ソーサー選手がドミニカ出身で、これは日本の野球ファンには、広く知られた情報だったと思います。

実際にドミニカ共和国に行ってみると、スペインの文化が色濃く残っていて、エキゾチックな雰囲気で季節は陽気な常夏の島でした。

ドミニカ2


勿論、コロンブス関係の旧所、名跡は各所にあって、クイズ地としては全く問題は無さそうです。

ドミニカ3


車で、ドミニカ各地をアチコチ走り廻り、人々の生活を見て歩いたのですが、確かに野球は盛んで、グラウンドでは子供たちが熱心に練習をしていました。
他の国では、道路でサッカー・ボールを蹴って遊んでいる子供が多いのですが、それよりは野球の方が目に付いたという印象でした。
当時の資料によれば、野球はドミニカの国技とも言われている、と書かれていますので、盛んなはずですね。

この頃、ドミニカでもう1つ知られていたのは「メレンゲ」というリズムでした。
これは、ドミニカで生まれたカーニバル舞曲で、タンボーラという太鼓を使って演奏され、2小節毎に連打のリズムが入るのが特徴、との事です。
何故私がそんなに詳しいのか? 実はご当地クイズで出題されたので、その資料を見ながら書いている情報なのです。

ドミニカは発見当時、インドと間違われたために、今でも西インド諸島の中にあるイスパニオーラ島と呼ばれ、島の半分はハイチ共和国なのです。
これもご当地クイズで出題された知識からの引用です。
こうして振り返って見ると、ウルトラクイズのご当地問題は、結構ためになる事を問題として採用していたのですね。
ウルトラクイズでは、単なる知識は「教科書問題」と呼ばれて、採用しないようにしていましたが、教科書を作る皆さんも、クイズ問題を作るような気持ちで、子供たちが興味を持つような話を加えて、教科書を作ったら、もっと勉強が楽しくなるのではないかなぁ、と思うのです。
今日は手前味噌のお話でした。