大規模なロケ隊 | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ウルトラクイズはテレビの良き時代に誕生し、夢を叶えてくれる番組として一時代を築いてきました。
今のテレビ界では、とても実現出来ないようなアイディアでも、それが面白いとなれば、たっぷりとお金を掛けて実現させてしまったのでした。
そのため一番組で予算を掛けるテレビ番組として、ギネスブックにも登録された事があったという話を聞いた事があります。

レビ局の担当プロデューサーは、毎年予算を大幅に超えてしまうので、放送が終ると、始末書を書くのが毎年の恒例行事になっている、と笑って話していました。
そんな中で、番組は大当たりをしていたので、皆さん出世街道を駆け上って行ったのは、業界ではよく知られたお話です。

それでも予算は縮小されるどころか、膨らむ一方だったので、世の中が不況になった途端、打ち切りという運命をたどったことになります。

て、全盛期にどのくらいの派手なロケを行なっていたのか、その一端を示すエピソードをご紹介します。
第8回でノースダコタ州を訪れた時の事です。
この辺りは360度見渡す限りが大草原です。
その昔、アメリカの開拓者達はこの草原を幌馬車に揺られながら、西へ西へと向かったと資料に残されていました。
ならば、我々も開拓者達の体験を味わいながら、クイズをやりたいと言う意見が出されました。

こで用意されたのが、8台の幌馬車と本物のカウボーイ達です。

幌馬車1


早朝の5時に村を出発し、半日以上も幌馬車に揺られながら大草原の中でクイズが行なわれたのです。
勿論、そうした状況を俯瞰で撮影するためにはヘリコプターが上空に待機しています。
幌馬車でも、現実に動くものを全国から探し出して用意するのですから、その費用も莫大にかかったはずです。
ロケハンでは、近郊で動く幌馬車を見つけて、それを確認する作業もしたり、忙しく走り回らなければなりません。

幌馬車3

幌馬車4

こでは挑戦者8人が8台の幌馬車に分乗して、早押しクイズで知力を競ったのでした。
思い返せば、確かに大規模で視聴者の想像を超えるような試みを平然とやってしまう、それが「アメリカ横断ウルトラクイズ」だったのです。
テレビ界にも本当に良い時代があったのですね。

幌馬車2