スタートは難産でした | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ウルトラクイズは1977年にスタートして、17年間も続いた長寿番組といっても良いでしょう。
テレビ番組が、まだ海外に目を向けていない時代に始まって、これに刺激され海外取材の番組が増えたのですから、時代の先端を走っていたことになります。
まあ、それはともかく、最初はこんな「馬鹿げた企画」と相手にされず、苦労して生まれた事だけは確かです。

んな中で、今では「ウルトラクイズ」という言葉が、世の中にすっかり定着していますが、実は企画の段階では違う名前だったのです。
企画当初は、常識を超えたドデカイ番組にしようということで、当時大きい物の代名詞でもあった「ジャンボ」という名詞が使われました。
即ち「アメリカ横断ジャンボクイズ」が正式名でした。

備の段階では、この「ジャンボクイズ」で着々と進んでいたのですが、ある時、提供スポンサーの中に全日空が加わったのです。
そして「ジャンボ」というのは如何なものか?とクレームが付いたのです。

故ならその頃、全日空のライバルであった日本航空がジャンボ・ジェット機を導入し、ジャンボJALのイメージが強すぎる、という事です。
因みにジャンボジェット機とはボーイング社の747の事で、安価な大量輸送を実現した画期的な航空機です。
このジャンボ機の登場によって、それまでは庶民にとっては高嶺の花であった海外旅行が可能になったという社会的な背景もあります。
そうした時代と、ウルトラクイズは正にマッチしたのでしょうね。

↓JALのジャンボ・ジェット

ジャンボジェット


レビ業界ではスポンサー神様です。
下々が神様のご意見に逆らう事など、出来ようはずがありません。
そこで急遽ジャンボに変わる言葉として、過度の、極度の、超という意味で「ウルトラ」という言葉が浮上してきたというわけです。

も、永年にわたって使い慣れてみると、「ウルトラクイズ」って案外飽きが来なくて良いネーミングだったような気がします。
どうでしょう?