娘の送迎の合間に復興マラソンのゴール近くである「千年希望の丘」に行きました。 

 一万人以上のランナーが、ランニングハイを感じながら走っていました。

 熱心な青空応援団の方々もいて、一人一人のランナーに気を配りながら熱い応援をしていました。 

 ほんの30分ほどいただけなのに、エイドステーションのランナーはいなくなりました。一万人も走っているのに、早いものです。 
 
 時々手を叩きながら気のない応援をしていました。主任が走っていれば応援にもやる気があったかもしれませんが、特に目当てはなくて何となく声を出していました。 

 僕もフルマラソンは20回以上走ってきたので、後半の苦しさはわかります。自分が走るときと他人が走っているときでは共感することが難しいです。それぞれの思いを胸に走りきればいいのでしょう。 

 結果を気にしてくれる存在が直接関係する本当の応援者だと思います。たとえ遅くても「速かったね」と言ってあげればいいのです。あえて遅く走るわけではなく、今の力を出して走ろうとしていたはずですから。 

 帰り際、地域の方に偶然会いました。リアクションを出せませんでした。あまりに唐突でしたし、娘の元ペアさんのご家族でしたが、接点が少なかったと思います。 

 まだ続くランナーの列を後にして、そこから国道に出ました。あんなにマラソン一色だったのに数キロ離れただけで関係のない世界です。

 マラソンコースは別世界でした。あの津波の時も、沿岸部と内陸部は全く違う別世界でした。それだけ東北は広く高低差もあるのです。 
 あの時、距離や境遇が隔たっていても、わがことのように多くの人が支援をしてくださいました。今日は復興マラソンということで、全国からランナーが集いました。絆は人格的な信頼関係から築かれるのではないでしょうか。マラソン事務局の方々と被災地の方々の固い絆の物語があったのではないかと思います。 

 もし来年あるなら「次は走ってみようか」とも思います。もちろん来年度のことはわかりません。