陸の孤島の生きる道
スポ少の本拠地は、山囲まれた盆地です。
支倉常長が、隠遁したと言われている地域。国際交流の先駆けをして、日本人初チョコレートを食べた先人と言われています。
幕府の鎖国政策により、辛苦を舐めたと覚えています。
彼が住んだこの地域は、住めば都だが、容易に他の地域に出られない場所だったと思います。
そうは言っても、マミーが2歳でゼロくんが5歳頃、走って秋保まで行ったことがありました。
幼い子どもでも走って峠を越えられる程度の山々なのです。
この地域に住む人たちは、用意に周囲のどの地域にも行くことができます。
裏を返せば、この地域に来ることもさほど大変な訳ではないのです。
いつも実体験している僕はそう思います。クルマ社会になっても、人口1万人切る地域だけに、住宅からの渋滞はありません。
高速が閉鎖されると、通り道として国道を使われるので、かなりの渋滞の時もあります。
集まりやすいけれど、集まらない地域となっています。
それは、盆地であるがゆえの閉鎖感なのでしょう。
盆地である京都のように文化を花咲かせるには、広大な面積もハンデなのかも知れません。
ただ僕は、この地域に根ざして生きている人たちはとても優秀な人が多いと思っています。
他の地域に出かけて何かをするというスタイルが、おとなしめの対応を迫られているのかも知れません。
もし、湖畔公園やアラバキのように人を呼びこめる企画運営があれば、魅力ある町にもなることでしよう。
平成の大合併でも妥協しなかった小さな町は、これからどうなるのでしょう。
タカハシ杯の練習会で「川崎から出たら…。」という一言は、求めて川崎に住んだ僕にとって、とっても違和感のある言葉でした。
この町に来てもらうことを考えることが、この町のためになるように思うので、ちょっと模索してみたいなと思いました
相変わらず僕は、バドミントンで他の地域に出没するつもりでいるところですが…。
ここでバドの練習会を開いたら来てもらえるのでしょうか…。先輩を見習って模索してみようかなと今朝思いました。