なんだか怖そうなキャッチコピーだな
「地球上で最悪の侵略的生物」
と思って記事を読んでみた
「ナガエツルノゲイトウ」
と言うらしいが
私は初めて知った
この写真では形状もよくわからないので検索してみた
カタカナだとイマイチつまみどころがなかったけど
ゲイトウは鶏頭と書くらしい
鶏頭(ケイトウ)なら、園芸店で買った
鶏の鶏冠みたいに赤い花をつけるケイトウが家にも居るけど
なんか随分と見た感じが違う
あと、よっぽど増殖が良くないのか
埼玉県
や千葉県
それに、国立環境研究所っていう国の機関からも
情報が出てた
全然知らなかったなぁ
びっくりだ
駆除の仕方を間違えると
余計に増やして厄介なことになるらしい
ウチは、ヤブカラシと呼ばれるどこででも見かける
雑草が抜いても抜いても地中に根っこがしつこく残っているらしく
掘り起こしてゴボウみたいな根っこをたくさん
引っこ抜いてもまだ出てくる
元々森が近いし、そもそもの地目は山林とかじゃないかなぁ?
こう言う立地は自然が近くて良いけれど
風や鳥の運んでくる種で、次から次から
何かが芽吹いてくる
除草剤とかは巻きたくないので
ひたすらせっせと草抜きをしてたけど
今まで住んだどの土地よりもでごわい
以前に住んでた人もかなり苦戦していたらしく
除草剤を巻いたり、防草目的で砂利を敷いたり
してたみたい
(ご近所さんから聞いた)
私が除草剤撒くの嫌い、うちにはワンコもいるので
って話した時、同じ考えの様でかなり安心してたなぁ
なので草抜きしてたら、キリがないね
とか大変だねとよく声をかけてくれる
話が脱線したけど、ナガエツルノゲイトウは
もう既にかなりの地域に繁殖してしまっているらしい
(国立環境研究所のサイトがわかりやすい)
もしかして知らない間に見てたかもなぁ
(うちの庭では一度も見てないけど)
こう言うのは意識してないとわからないよね
植物なんて何を見ても区別がつかない
と言う、うちの6ch(旦那氏)みたいなタイプも多いし
外来種は、一時的に駆除できても
人の往来や物の往来がある限り
防疫してても入り込んでくる
今も、日本ではもう既に過去の病気になってた結核が
広がりつつある
完全に根絶(国から)したがために
その国の人にその病原菌やウイルスに対して
免疫が無いって言う、非常に弱い状態になっている
そこへ、菌やウイルスを持ち込まれると
菌やウイルスの繁殖天国になってしまう
外来種もその土地で育った歴史がないので
天敵がいないなどの理由でどんどん繁殖する
これは、逆もそうで、日本の在来種が
海外で侵略的外来種になっていることもある
国境を越えた出入りが簡単になっている
現代ならではの悩み
知識がなくて、外来種を自国の自然に放ってしまう人もいる
ちなみにナガエツルノゲイトウは
長柄蔓野鶏頭と書くらしい
ほとんどのサイトでカタカナ表記だけだったけど
こう言う場合、漢字も併記した方が
頭に入りやすいね
特徴も表してるし
ヤブカラシも家の庭から根絶したいんだけど
(とにかくキリがないし繁殖力もすごいので)
長柄蔓野鶏頭(ナガエツルノゲイトウ)も
その他の侵略的外来種も、直接困ってない人にとっては
どうでも良いことに感じるかもしれないけど
水田や水門などで繁殖すると
いずれ間接的なものから直接困る日が来る事もあるので
地道に駆除し続けるしかないのかな?
元々の繁殖地域の環境ではどう言う風に
他の自然と共存してるのか
とかも併せて考えた方が良さそうだね
うちの庭のヤブカラシは
いつか地中の根っこを根絶できれば
ほとんど気にしなくて良くなるけど
国単位で考えたら、来日する人や
輸入する物、行き来する船などにくっついて
いくらでも入ってくるだろうから
ハッキリ言って、一度完全駆除できても
また入ってくるからね
根源的には駆除が正しい近道かどうかも
怪しいと言うか、今はそうするしかないから
侵略的外来種と呼んで敵対するしかない
って向き合い方なんだろうけど
それは地球上を行き来する様になった
現代の抱える、切っても切り離せない
もう一つの側面てことよね
それが食べて美味しいものとかなら
人間は勝手に取り出すんだろうけど
そうじゃなきゃ、勝手に生えてる雑草とか
食べることない海産物とか、過去の病疫の再来
でしかないもんね
とりあえず、今は知って、正しく対策する
対症療法的なことを推奨されてるんだろうね
日本の在来たんぽぽも
今はもうほぼほぼ西洋たんぽぽに
駆逐されてしまって見かける事もない
そしてそんなことさえ知らない
気にしない人も大勢になってたりする
地球上の絶滅危惧種も人の手で
保護して個体数を増やす様にしたり
種を絶やさない様にもしているけど
私はたまに、それも意味があるのかなぁ?
と考える時がある
もちろん人間の乱獲や環境破壊のせいで
そうなっているので、自然を壊さない様に
自然体系に影響を与えない様に生きようと言うのは
とっても重要なんだけど
人間も自然の一部と考えたら
人が手を出していることには変わりないんだよなぁって
自分たちが保護すると決めた保護したいものだけ
守って、止められない絶滅もあれば
なんの役割を果たしているかわからないけど
自分たちが取るに足りないと区分してる
ものこそが実はとても重要な事もあると思う
環境破壊が人間のエゴなのはわかりやすいけど
環境保護も人間のエゴだったりしないのか?って視点は
あまり多くの人が持つことはないよね
環境保護団体が実は私利私欲の塊だったりする事もある
言葉尻に惑わされずに、本来の自然共生とか
視点を変えてみる事も大事なのかな?と
ゴミの出ない暮らしって言うのも
昔の日本人を考えた時に
思う事なんだよねぇ
うちの周囲でも、殆どの人が
45リットルのゴミ袋で
当たり前の様に大量のゴミを捨てている
我が家は2人暮らしというのもあるけど
10リットルなんだよね
この違いってなんだろう?
とか、視点を変えるとゴミを買って
毎日毎日捨ててないか?って気づくとか
気づいてない人にまで、やれとは言わないけど
気づきとか視点を変えてものを見る
って事は大事だなぁ、とは思うのよね
それとも人はちっぽけで取るに足らないから
やりたい放題してても、いつか自然がそれを許さなくなり
今みたいなくらができなくなる事で
自然と共生(矯正)されていくのかな
なんて思ったり
人間には今日より明日はもっと良くなっていようという
向上心が備わっているから、あんまり悲観はしてないけれど
より良い点に到達するまでには
間違いとかいっぱい繰り返しながら
犠牲も払いながらなんだろうなぁ
自分だけ良ければ、今さえ良ければ
と思うのも人間だもんね