「ブラック・ジャック」のスペシャルドラマが放送され、ネットでは賛否両論渦巻いている(笑)

まずひとこと言うと高橋一生のブラック・ジャックは演技もビジュアルも悪くなかった。単純にカッコ良かった。このイメージビジュアルも秋田文庫版の雰囲気を再現していてなかなかセンスありますね。

 

で、内容はどうだったのかというと、ドラマとしてはまあまあ?悪くもなかったけど、良くもない。ああいうのが好きな人もいるかも知れないけど、私は好みじゃないし、少なくとも原作の「ブラック・ジャック」とは全く別物になってましたね。

例えで言うと、まさに土曜ワイド劇場の美女シリーズみたい。江戸川乱歩の原作とは全く別物だけれど、まあこれはこれで、みたいなシリーズでした。今回の「ブラック・ジャック」って私的にはそんな印象です。ネットの感想では原作ファンでも結構高評価な人もいるようですが、これを認めるんなら

悪評たかき「瞳の中の訪問者」も認めてあげようよ。これだって全く「ブラック・ジャック」とは別物だけど、恋愛ミステリー?としてはそれなりに楽しめるぞ。同じ大林宣彦による薬師丸ひろ子の「ねらわれた学園」の元ネタみたいなシーンもあるしな。

そもそも「瞳の中の訪問者」は原作の中でも異色というか、あまりブラック・ジャックらしくないエピソードである#167「春一番」をチョイスしている時点でブラック・ジャックっぽさは望めないですしね。

 

今回はそういう意味でどの原作エピソードをチョイスするかと興味を持っていたんですが、まず驚いたのは今回は各エピソードをオムニバス的に繋ぐのではなく、そのエピソードを散りばめて同時進行で描くという手法を選択した事でした。なるほど、そういう手で来たか、とは思いましたが、原作は一話完結の面白さがあり、この手法ではその面白さが損なわれてしまったのではないか、と感じた。またエピソードの選択、というよりエピソードの中から「要素」だけ抜き出して使っており、そのエピソードの中で手塚治虫が描きたかった肝、というか心が描けてなかった印象なのだ。

 

前置きが長くなった。まず冒頭、原作のファーストエピソードである#1「医者はどこだ!」の引用からスタート。

原作ではヨーロッパ某国でのエピソードだが、事故で重傷を負ったのが日本の法務大臣の息子という設定にしたり、その身代わりになった死刑囚の友人という狂言廻しを登場させたりした事により、シンプルだった原作の構図が非常にピンボケになってしまっている。

そのため原作の肝である母子の再会が描けなくなってしまっている。

 

また、今回のドラマはスマホも登場する現代の日本を舞台にしているが、その舞台設定も非常に苦しい。ただでさえ原作は50年前に生まれた作品であり、現代に置き換えるのは難しいのにそれをごまかすためか

登場人物たちはみな過剰なメイクを施し、そのコスチューム、セットなどがまるでゴシックホラーの世界である。これで現代の日本でございます、SNSで発信もされちゃいます、って言われてもなあ。ブラック・ジャックは結構「閉じられた場所」でオペする事も多いが、敢えて衆人環視のもとでオペをするエピソードである#111「タイムアウト」をチョイスするから「SNS問題」も出てくるわけだよね。敢えてかも知れないけどさ。原作の持つ極限状態でのオペ感が弱かったのと

このラストのほのぼの感がなくなっちゃったので、なぜこのエピソードだったんだろう?って感じでした。

さて今回のメインキャラクターは怪優の評価著しい松本まりか演じる獅子面病の患者だろうが、これは原作の#33「獅子面病」からその病気だけを拝借したものであって、ストーリー的には全く引用されていない。単にビジュアル的なインパクトを求めたのであろうか。顔を隠すのに馬の仮面を被るって、ギャグですか?かえって目立つんですけど。

今回のドラマが「女性の美しさ」や「女性の哀しさ」をテーマにしているのなら、女性の獅子面病患者という設定も悪くはない。ただ、それならば旦那が「治してあげたい」というより、自分自身が「こんな醜い自分は許せないから治したい」の方が良かったのではないか。

ドクター・キリコの性別がドラマでは女性に変更された事も槍玉にあがっていたが、ドラマ的必然があるならば男女なんてのはどうでもいいと私は思う。ドラマの終盤、キリコの顔面に痣?疵?みたいなものが見えたが、「女性の美しさ」みたいなものを描きたいならば、もっと掘り下げないといけないのではないか。ピノコが獅子面病の患者に肩入れしたのはピノコが女性だったから。

ピノコは見た目は幼児でも中身は20歳前後(原作の中で多少歳を重ねている)の大人の女性なのだ。原作マンガが少年誌(当時の読者層は現在よりもっと子供だった)掲載だったため、こういう愛らしいキャラクターに設定したのだろうが、もし青年誌だったら、小学校高学年から中学生くらいの見た目、身長でそれ以上成長できない女の子に設定して、より女性の哀しさを強調したかもしれない。

だからピノコ喋りやアッチョンブリケの再現なんかにこだわるより、中味の女性感をもっと出せば獅子面病の患者とキリコ、ピノコの女性としてのラインがもっと繋がったように思う。

原作には#75「スター誕生」や

#134「あるスターの死」など女性の美しさや若さをテーマにしたエピソードもあるのだから、そのへんから「要素」を持ってきても良かったかもしれない。

あと#148「落としもの」から設定だけもらったり

ファンに大人気なエピソード#89「おばあちゃん」からセリフだけ拝借したり、全く必然性なく琵琶丸の名前だけ使ったりと、脚本家の真意を掴みかねる箇所も多かった。

 

また、私が気になったのはドラマオリジナルの「治せなかった患者の骨を入れた置物を作る」という設定とか、「私は神になりたい」というブラック・ジャックのセリフ。さらには「そんなマンガみたいな」というセリフの多用、「漫画家の手塚」という楽屋落ち的な設定などがとても気になった。

 

そもそも「ブラック・ジャック」とは大変振り幅の広い作品であり、生命賛歌、人情噺、ホラー、ミステリー、SF、ファンタジーとなんでもござれ。またブラック・ジャックのキャラクター自体優しい人情家の面、またニヒルでクールな面、場合によっては人を殺す(=助けない)といったダークな面と非常に多面性がある。それがまた魅力なのであるが、今回みたいな単発ドラマの場合はまず「ブラック・ジャックはどういう人物なのか」をしっかり描かないと、特に原作未読の一見さんにはわかりにくい。

前半のつかみどころのないキャラクターから後半人間味が出てくるあたりはもっとドラマ的にしっかり見せて欲しかったと思います。

 

以前楳図かずおの「漂流教室」が「漂流教室~ロングラブレター」としてドラマ化された時、設定をはじめ大幅な改変が行われたが、私を含め口うるさい楳図かずおファンにも案外評価が高かった。それは原作の「心」や「肝」がきちんと描かれていたからである。

「ブラック・ジャック」は今までアニメ、ドラマ含めイマイチそういう「心」が描かれた映像化作品が少ないと感じている。

是非、次回のドラマ化に期待したい。