女優の久我美子さん(1931~2024)がお亡くなりになった。謹んでお悔やみ申し上げます。

旧華族出身の女優さんで、その滲み出る気品は隠しようのないものだった。黒澤明や小津安二郎といった名監督の映画にも数々出演された。

久我美子、といえば有名なのが「また逢う日まで」(1950)のガラス越しのキスシーンだろうか。

 

ところで・・・。私は大変失礼ながら年代的に久我美子の出演映画をリアルタイムでは全く見ていないので、子供の頃はそのお名前は存じているものの、「平田昭彦の奥さん」という認識だった(汗)だって仕方ないですよね、「怪獣少年」にとって平田昭彦の存在の方が大きいですもん。世間的には平田昭彦が「久我美子のダンナさん」って認識の方が強いと知って驚いた覚えがあります。

 

平田昭彦と久我美子はおしどり夫婦として知られていました。「大阪城物語」(1961)での共演をきっかけに交際、そして結婚。平田昭彦は1984年に56歳の若さで早世され、以来40年の長きに亘っておひとりで過ごしてきた久我美子は寂しい思いもあっただろうが、今頃天上で久しぶりの再会を喜んでいらっしゃるだろうか。そんなおふたりを偲んで、ご夫婦一緒の名鑑にしたいと思います。

 

平田昭彦さん(1927~1984)はその端正な甘いマスクと知的な雰囲気で数々の作品に出演されました。

特撮映画にはなくてはならない存在であり、その代表作はやはり「ゴジラ」(1954)の芹沢博士だろう。その屈折した生き様を見事に表現していた。私は年代的に「ゴジラ」はリアルタイムで見ていないので

やはり「ウルトラマン」(1966~67)の岩本博士の印象が強い。

「キングコング対ゴジラ」(1962)の重沢博士がきっと岩本博士のイメージの源流だろうが、その後の全ての特撮作品の「博士」のイメージのひな形になったと言っても過言ではないのではないか。平田昭彦はその後もゴジラシリーズ、東宝特撮シリーズの常連として数多の作品に出演。

第一期ゴジラシリーズの最終作にして本多猪四郎監督の遺作となった「メカゴジラの逆襲」(1975)に真船博士役で出演。「ゴジラ」の芹沢博士とはまた違う鬱屈した博士像を見事に造形した。平田は爽やかな颯爽とした役だけでなくこうした様々な役を演じられる名優だった。「ゴジラ」(1984)でも林田博士役で出演予定だったが、病気のためそれは叶わなかった。

平田演じる林田博士も見てみたかった気もするが、盟友・本多猪四郎監督の遺作であるこの作品が平田最後のゴジラ映画になったのも運命な気もする。

平田は声優の仕事は多くないが、「刑事コロンボ」第44話「攻撃命令」(1979日本放映)で犯人役の吹き替えを担当している。平田の声の出演は嬉しかったが、まさかその5年後に亡くなってしまうなんて思いもしなかった。

 

さて、久我美子は16歳でデビュー。17歳で出演した黒澤明の「酔いどれ天使」(1948)などで注目を集めた。

1954年に木下恵介監督の「女の園」で共演した岸恵子と意気投合。有馬稲子を加えて女性だけのプロダクション「文芸プロダクション にんじんくらぶ」を設立、映画製作に自ら携わった。そのお嬢様然とした風貌とは違い、大変活動的な面もあったのがわかるエピソードだ。

小津安二郎監督の「お早よう」(1959)の姉の家に居候する妹役も印象的だが

松本清張の原作を映画化した「ゼロの焦点」(1961)で失踪した夫を探す新妻役が素晴らしい。この映画ではにんじんくらぶの有馬稲子とも共演している。また、この「ゼロの焦点」は監督・野村芳太郎、脚本・橋本忍 山田洋次、音楽・芥川也寸志と名作「砂の器」(1974)と同じメンバーであり、その源流のひとつと言える大変な名作である。

余談だが、この映画のクライマックスで主人公と犯人が断崖絶壁で対峙するシーン(原作にはない)はその後2時間サスペンスドラマの定番シーンとなるが、これが原点である。

大河ドラマ「いのち」(1986)で主人公未希(三田佳子)の母親役で出演。この母の死が未希が医師を志すきっかけとなる重要な役だった。私がリアルタイムで初めてみた久我美子はこの作品だったと思います。

「ゴジラ」(1984)に出演が叶わなかった平田の遺志を継ぎ「ゴジラVSビオランテ」(1989)に官房長官役で出演。

尚、久我美子は公開当時「ゴジラ」(1954)は見ておらず、平田の晩年に一緒にビデオソフトで初めて鑑賞した際「あなた一番いい役で出てるわね」と言って涙ぐんだそうである。

 

平田昭彦さんと久我美子さんのかわいらしい結婚式の写真があったのでのせておきます。今頃天上で40年分の積もり積もった話をしていらっしゃるだろうか。「一部のネットニュースで「ゴジラVSビオランテ」に出演って書かれちゃったのよ。他にいくらでもあるのにね~!」なんて。