ちょっと前の話だが、高校時代の友人がAmazonプライムで映画「海街diary」(2015)を見た時、一緒に見た奥さんの感想は「まあ、面白かったけど、Amazonプライムで良かったわ。わざわざ映画館で見る必要ないし、テレビのドラマスペシャルで充分、って感じ」だったそうだ。私はこの話を聞いてかなり衝撃を受けた。では逆に彼女は「映画館で見るべき映画」に何を求めているのだろう?友人によると、「お金のかかった大掛かりなセットやアクション、特撮など迫力ある映像や音響」「息もつかせぬスピーディなストーリー展開」などだそうである。

うーん、なるほど。確かにそれ「も」映画館で映画を見る醍醐味のひとつの要素ではある。だが、あの大画面で俳優の細かな表情を見たり、美しい風景をゆっくりと流れる時間の中でじっくりと見られるの「も」映画館で映画を見る醍醐味のひとつであると私は思う。きっと彼女にとっては迫力ある映像もなく、大きな展開もない映画は「何も起きない映画」と感じられるのだろう。多分小津安二郎の映画なんて絶対見てられないだろうな。私は逆に「何も起きない」日常の中での心の機微を描くような静かな映画「も」大好きだ。今年に入って私はまさにそんな「何も起きない」映画の傑作に立て続けに巡り会った。

 

そのひとつはヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」。訳ありげな初老のトイレ清掃員の日常を静かに追った映画である。早朝起床し、花の世話をし、車で出発、トイレ清掃をし、公園で昼食にサンドイッチを食べ、仕事を終えれば銭湯に行き、地下街の飲み屋で軽く一杯、布団の中で読書をして、寝る。基本的には毎日それの繰り返しである。この主人公はインテリっぽいのだが、何故社会と隔絶したような生活を送り、妹一家とも疎遠なのか。映画の中では特に詳しく語られる事はない。でも、彼は毎日「生きている」し、どこか幸せそうだ。家出してきた姪っ子が転がり込んできたり、少々の変化はあるにしても、基本的には「何も起きない」。だが、一日として同じ日はなく、一日一日が「PERFECT DAY」なのだ。

小津安二郎を敬愛するヴィム・ヴェンダースらしい静かな時間が流れる映画である。そこかしこに「英語で書かれた台本を日本語に翻訳した」ようなセリフや演出もやや見られるが、西洋人の監督が日本人の俳優を使って日本語で撮った洋画、と捉えてみれば全く違和感はないと思う。役所広司をはじめ、チョイ役の安藤玉恵たちまで出演者がみな素晴らしい珠玉の名作。

私はヴィム・ヴェンダース監督の映画は「パリ、テキサス」(1984)以来40年ぶりに見たが、この監督の映画の時間の流れは好きである。

 

 

もう1本が「コット、はじまりの夏」。大家族の中でも学校でも居場所がなく、静かに暮らしてきた寡黙な少女・コット。出産を控えた母親の負担を減らすといった名目で、遠い親戚の家に預けられる事になる。夏休みを親戚夫婦と暮らすうちに、はじめて自分の居場所を見つけ、いっぱいの愛情を受け変わっていくコット。だがその夏休みも終わりが近づいてきて・・・。

そんな映画の紹介を読んだだけで、映画のあらすじや展開はわかるし、実際それ以上特に「何も起きない」。でも毎日の静かな生活の中で夫婦とコットの距離が少しずつ縮まっていく様子が丁寧に紡がれていく。

最近のやたら二転三転するストーリー展開の映画や、予想を覆す驚きのラストの映画に見慣れていると、「え、まさか○○じゃないよね?」とか「最後○○しないよね?」とか何回も心配になったが、それは杞憂であり、最後まで「何も起きない」映画だった。何も起きないのに、こんなにも心を揺さぶられるのは何故なんだろう。美しいアイルランドの風景の中、少女コットと親戚夫婦の絆に心洗われる珠玉の名作の誕生である。全国的にも名画座など比較的小さな劇場でしか公開されていないが、是非たくさんの方に見て頂きたい映画である。

ただし、「何も起きない」映画、が好きな人限定ではあるが(笑)