脚本家・作家の山田太一さん(1934~2023)がお亡くなりになった。この喪失感をなんと言って表せばいいのか。間違いなく日本はかけがえのない宝をひとつ失ったのだ。残念でならない。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

「男たちの旅路」(1976~)、「高原へいらっしゃい」(1976)から最後の連続ドラマとなった「ありふれた奇跡」(2009)、震災をテーマにした「キルトの家」(2012)、「五年目のひとり」(2016)などのスペシャルドラマまでずっと第一線で活躍し、常にレベルの高い名作を書き続けた巨匠である。

 

中でも名作の誉れ高い「岸辺のアルバム」(1977)は最終回の次のセリフが有名だろう。

 

則子(八千草薫)「全部でなくてもいいわ。2冊でも3冊でもアルバムをとってきたいんです。家族の記録なんです。かけがえがないんです!」

 

ドラマの名場面特集などでここばかり見せてしまうのだが、実はその前のシーンが重要なのだ。

 

則子、夫の謙作(杉浦直樹)に向かって「アルバムが大事だって言ったわね。アルバムが大事でもホントの繁(国広富之)や律子(中田喜子)や私は大事じゃないんだわ。あのキレイ事のアルバムと、このうちが大事なんだわ!」

 

ブログのタイトルにしたのはこれまた山田太一ファンなら有名な「早春スケッチブック」(1983)の竜彦(山崎努)のセリフである。このドラマ、母親役の岩下志麻、父親役の河原崎長一郎、息子役の鶴見辰吾などみんないいんだが、中でも妹の良子役の二階堂千寿の素晴らしさは群を抜いている。竜彦と良子のシーンの素晴らしさは是非本編を見て欲しい!

 

良子「わからないわ。わたしは今好意を持っていないから。普通の子がどう思うのかわからない」

竜彦「うむ。おじさんもわからない。もうちょっと年上の人を相手にしてたんでね。君ぐらいの子を知らないんだ」

 

おじさん然とした山崎努と中学生の女の子の二階堂千寿のこの化学変化がもたらす素晴らしい脚本と演技力。二階堂千寿、間違いなく天才である。

 

そして私が愛してやまない「時にはいっしょに」(1986)。

 

季代(南野陽子)「(涙を拭きながら)ふふ、バカみたい」

伸浩(細川俊之)「・・・時々・・」

茂(角田英介)「え?」

伸浩「時々逢おうじゃないか、四人で」

明子(伊東ゆかり)「ええ」

茂「折角、家族だったんだもんね」

明子「・・・うん」

季代、頷く

 

番組タイトルが盛大にオチのネタバレなのに、この切なさ。山田太一の隠れた名作のひとつ。

 

「時にはいっしょに」のシナリオ集のあとがきで、山田太一は仲の良い姉弟の話を書きたかったと記している。「ふたりははじめ自分たちが仲が良い事に気がついていないのだ。(中略)ところが突然別れる事になってしまう。するとふたりはお互いが大好きだったことに気がつくのだ」

 

両親が離婚後別れて暮らす姉弟だが、ひさしぶりに会い、泊まっていけと姉を誘う弟。だが運悪く翌日は尿検査の日だった。

泊まりたいのはやまやまだが、検尿用のコップを持っていないので、帰りたい姉。

季代「忘れて目立つのやなの」

茂「待てよ。とってくりゃあいいよ。二人で取りに行って、戻ってくりゃあいいよ!」

 

本当は泊りたいけど、検尿を忘れたくない年頃の女子高生の姉。それならと一緒に取りに行こうという弟の優しさ。

こういう何気ないシーンでこういう細かい心の機微を書かせたら山田太一の右に出る者はいないだろう。

 

それにしても今はこういう骨太なドラマはめっきりと少なくなってしまった。きっと昨今のドラマを見たら山田太一は「お前ら骨の髄までありきたりだ!」って怒るだろうなあ。ドラマとして素晴らしいだけでなく、脚本家を目指す人には最高のテキストとなる作品ばかりであり、若者には是非山田太一ドラマをたくさん見て欲しい。

 

実は私は恥ずかしながら「ふぞろいの林檎たち」シリーズ(1983~)は見た事がないのだ。また、大河ドラマ「獅子の時代」(1980)はリアルタイムで見ていて好きなドラマだったが、当時は山田太一作品として意識して見ていなかったので、是非再見したいと思っています。他にも枚挙に暇がないほど名作揃いなので、老後はゆっくりと山田太一ドラマを見て過ごしたい。

 

山田太一さん、素晴らしい作品の数々をありがとうございました。私たちはそのドラマや映画をこれからもずっと大切に見させていただきます。安らかにお休み下さい。