先日「ブラック・ジャック」の”新作”をAIが描く、というニュースについてブログを書いた。あれからずっと考えている。今、もし手塚治虫が生きていたらどんな漫画を描いただろうと。そして1970年代に手塚治虫が描いたふたつの作品が頭の中で反芻されている。

そのひとつは「ブラック・ジャック」の一篇「U-18は知っていた」である。この作品は1976年に発行された「少年チャンピオン」の増刊に載ったもので、唯一作品ナンバーが振られていないが、順番としては113話「もう一人のJ」と114話「ペンをすてろ!」の間に位置する作品だ。この作品の一番のポイントは患者が人間ではなく”U-18”というコンピューターである事だ。ある病院では病室の管理、患者の診察から手術まで、いっさい一台のコンピューター=U-18によってしきられている、というエピソードだ。今から50年近く前に描かれた作品であり、その描写はさすがに古臭いところもあるものの、AIの能力が飛躍的に向上した現在にも通じる風刺と警告に溢れた傑作だ。(少年チャンピオンコミックス旧版10巻、新装版8巻などに収録)

 

だが、その最先端コンピューターのU-18が機械でありながら、非常に人間的な感覚の持ち主であるのが面白い。患者との会話の中で「今まで安心して手術をまかせられたのは一人の医者しかいない」などと21人がブラック・ジャックの名前をあげたため、自分自身の病気=故障を技師ではなく畑違いの医者であるブラック・ジャックに託そうとするのだ。ブラック・ジャックもその信頼に応えて手術=修理を敢行する。「ブラック・ジャック」は単なる医療マンガではなく、患者は動物から霊魂、宇宙人までおり、ここではそれがコンピューターなわけである。

手術をしてくれたお礼に女性の画像を合成したり

自身の限界を感じて引退を宣言したり

そんなU-18を最後まで「機械ではなくひとりの医者」として認めるブラック・ジャックといい、その作品の根底に流れる稀有な感性がさすがに手塚治虫だな、と感心する。先日のブログの話の続きだが、AIにここまでの「ブラック・ジャック」113話を学習させても絶対にこの「U-18は知っていた」は発想できないのではないだろうか。

 

もうひとつAI絡みで思い出されたのが「アトムの最後」という作品で、1970年の「月刊少年マガジン」7月号で発表されている。「鉄腕アトム」のラストエピソードの”ひとつ”である。あまりに陰鬱で悲惨なストーリーのため、ファンの間では賛否両論であり、作者である手塚治虫自身もいつ読み返しても嫌な気分がする、と語っているがアトムのラストエピソードとしてはともかく作品としては非常にレベルの高い作品だと私は思っている。

 

近未来(西暦2055年)の世界ではロボットが世界を支配し、人間は服従させられていた。主人公・丈夫は恋人のジュリーとともにロボットの追跡を逃れて辿り着いたのがロボット博物館。そこにはロボットが人間の味方だった時代のロボット・アトムが眠っていた。丈夫はアトムを起動し、助けを求める。ロボットに追われながらロボットに助けを求めるという皮肉なストーリー展開が素晴らしい。

果たしてアトムが出した答えとは?そして驚くべき事実が明らかになる!

是非真っ新な状態でこの作品を読んで頂きたいのでネタバレは避けておきます。この作品は朝日ソノラマ版や講談社手塚治虫漫画全集版の「鉄腕アトム 別巻」で読む事が出来ます。

人間とロボット(=今ならAI)との関係をシニカルに描いた傑作で、今読んでも全く古臭くないテーマ性が素晴らしい。これまた50年以上前にこんな作品を考えつく手塚治虫、天才としか言いようがない。

しつこいようだが、これ以前の「鉄腕アトム」の全エピソードをAIに学習させてもこのエピソードは考えられないだろう。AIは学習から「それっぽい」ものは考えつくかも知れないが、人間は、手塚治虫は新しいもの、今まで考えなかったものを生み出そうとするからだ。

 

これからAIがますます進化すれば人間と同じように「全く新しいもの」も考えつくようになるという予想もあるそうだ。私は希望的観測も含めて、人間はやっぱり負けないと思っている。いや、そう信じたい。

 

ブラック・ジャックの恩師・本間先生の言葉を借りれば「AIがモノ作りで人間を越えようなんておこがましいと思わんかね」

全体的に暗いムードの「アトムの最後」の中で構図や高揚感が大好きなコマの絵を最後に載せておきます。

自分と同族であるロボットよりも人間を信じたアトム。その選択が正しい事を信じたい。これからの未来、人間とAIはうまく折り合いをつけて共存共栄していけるだろうか。