有安杏果のソロライブに行って参りました。
みんながみんな伝説に立ち会えたと言っている、そんなライブでした。
いい。
良かった。
最高だったよ。
純粋に賛辞しかない。何より、自分の人生を見つめなおすような時間をもらえた。
ももかの20年間のダイジェストを見るようなライブ、
12歳の時に貼った伏線が回収されていくのを見て、
人生という長い月日をかけた物語に人は心動かされ、勇気をもらえるのだと思った。
その8年間分の努力の結晶を目の当たりにして感動したんだ。
青春を賭して努力をする姿が好きだ、
甲子園、鳥人間、高校生クイズ、そしてアイドル。
青春活劇が大好きだ。
スラムダンク、ルーキーズ、ウォーターボーイズ、そして幕が上がる。
自分が青春を燃やしきれなかったコンプレックスと、そこに全力を投球出来ていることへの羨望。
大人になって思い返すけど、やっぱり自分には出来なかったなぁという諦め。
そういうのが相まって、若くまだ何も持たない人達が、一体何のために頑張っているのかよく分からないけど、純粋にがむしゃらに一生懸命やっている姿が大好きだ。
花火のような光に儚さと、その分の強いきらめきを感じる。
全ての光をあのライブは持っていたと思うんだ。
何が僕らの心をつかむのか?
自分なりに幾つか理由はあるけど、それって多分人それぞれなので、
それぞれの理由でいい。
僕は努力し続けるももかを応援したいと思ったし、勇気をもらえた。
鳥人間コンテスト熱いですね。大好き。
鳥人間コンテストや甲子園を見ていると時に人間は実力以上を発揮したりすることに気が付きます。
それってやはり自分のためだけではなく、誰かのためなに頑張るからなのかも知れない。
純粋なアスリートとは少しモチベーションとかは違うのかも知れないけど、
精神が肉体を凌駕していく姿に身体の不思議を感じざるを得ません。
仲間のためにというと根性論のように聞こえますが、
エビデンスがないだけで、人間のポテンシャルを引き出す1つのコツな気がします。
青春っていいですね。
これで勝ったら就職が有利になるとかそういうことではないんだけど、
そこに一生懸命になれる姿って素晴らしい。
高校野球もそこで一生懸命やってプロ野球にいける人なんて一握りなんだけど、
多分そんな下世話な事は考えずに「今」を頑張っている訳ですよね。
そんな姿に人は胸打たれるのだと思います。
何かに一生懸命な人って時に滑稽だけど、そういう人達が大好きです。
ここで紙一重な姿を見てみましょう。
彼はその後有名な工科大学に留学しているそうです。
「回らんかー!」
何かに夢中になれる力ってかけがいがないものなのだと思います。
事を成す上で一番重要な事はなんだろうか?
自分はマルチタスクをこなせていると思っていたが、
全ての仕事に対して中途半端だったと自覚した。
自己愛としっかり向き合ってこなかった。
自分が頑張っているのは、世の中のためだと思っていた。
もちろんそれもあるが、
自分が作ったコンテンツが流行る事で、
世の中も良くなるし、自分の名声が上がればと思っていた。
そういう根性でやっていると、マルチに覚悟を決めずに
広く浅く手を伸ばしてしまう。
本当に大事な事は、
誰かの役に立てるような、魂のこもったコンテンツメイクのはず。
そのためには覚悟が必要だった。
最悪自分ひとりだって、乗り越えてやるという覚悟が。
僕にはその覚悟がなかった、
種を蒔くだけまいて、花を咲かせる努力をしなかった。
せっかく泥船に一緒に乗ってくれた人達を大事にしなかった。
自分の船は客船だと勘違いしていた。
泥船に喜んで乗るやつなんていない、自分を信頼してくれて乗ってくれたのに、
自分だけ泥船である自覚をしていなかった。
腹をくくれ。
人よりも多くのタスクをこなしたいなら、
人より自由時間も、趣味も、リア充も少なくて当たり前。
そんな自覚なく、ただただ発散的に手を広げて、
せっかく信頼してくれた人達を裏切り、
溺れている人に手を貸さず、
自分は更に勝手に船を進めようとしている。
器用貧乏なんて綺麗なものじゃない、ただの阿呆。
どうして覚悟を磨こうとしない、
自分が一介の人間にでもなったつもりか。
まだまだ何もない自分が出来る事は、
今もらった仕事で最高の結果を出す事なんじゃないかな?
その覚悟がない。
自分はマルチタスクをこなせていると思っていたが、
全ての仕事に対して中途半端だったと自覚した。
自己愛としっかり向き合ってこなかった。
自分が頑張っているのは、世の中のためだと思っていた。
もちろんそれもあるが、
自分が作ったコンテンツが流行る事で、
世の中も良くなるし、自分の名声が上がればと思っていた。
そういう根性でやっていると、マルチに覚悟を決めずに
広く浅く手を伸ばしてしまう。
本当に大事な事は、
誰かの役に立てるような、魂のこもったコンテンツメイクのはず。
そのためには覚悟が必要だった。
最悪自分ひとりだって、乗り越えてやるという覚悟が。
僕にはその覚悟がなかった、
種を蒔くだけまいて、花を咲かせる努力をしなかった。
せっかく泥船に一緒に乗ってくれた人達を大事にしなかった。
自分の船は客船だと勘違いしていた。
泥船に喜んで乗るやつなんていない、自分を信頼してくれて乗ってくれたのに、
自分だけ泥船である自覚をしていなかった。
腹をくくれ。
人よりも多くのタスクをこなしたいなら、
人より自由時間も、趣味も、リア充も少なくて当たり前。
そんな自覚なく、ただただ発散的に手を広げて、
せっかく信頼してくれた人達を裏切り、
溺れている人に手を貸さず、
自分は更に勝手に船を進めようとしている。
器用貧乏なんて綺麗なものじゃない、ただの阿呆。
どうして覚悟を磨こうとしない、
自分が一介の人間にでもなったつもりか。
まだまだ何もない自分が出来る事は、
今もらった仕事で最高の結果を出す事なんじゃないかな?
その覚悟がない。
アメブロ10週年企画でブログを書こうキャンペーンが実施されている事を知り、これを機に、臨床以外の話も少しずつ書いてみようかなと企んでおります。
最初のテーマは最近楽しかった事。
最近一番興奮する程楽しかった事で真っ先に思い出すのが、ももクロの国立競技場大会ライブ!
感無量とはこのことです。
ももクロを好きになって3年強になります。
紅白歌合戦に出る事を目標にしていた事から好きになって、実際に出た時にはあかりんへの泣ける演出。ぶっちゃけあそこで物語はピークを迎えたと思った。
ドラゴンボールで言えば、超サイヤ人としてフリーザーを倒したのが紅白歌合戦。
紅白の話が出来すぎていて、話のピークがあそこで、後は解散へ向かってのカウントダウンなのかなと一瞬よぎってしまった。
その直後に掲げられた目標が国立競技場でのライブ。
しかし、その直後に東京オリンピック開催決定へ、2014年で国立競技場は改修工事の予定となり
、国立競技場でのライブ開催は実質不可能と思われた。
ついてないぜ、ももクロちゃん!
なんとなく宙ぶらりんな目標のないまま次々にファンを獲得して、日産スタジアムなど巨大な会場でも悠然とライブを行うももクロ。でも掲げた夢は叶わないものと思っていた。
が、国立競技場大会が決まった!しかも2日間!!
クリスマスライブで本人達にも知らされていなかった事実を、モノノフと一緒に知るというサプライズつき。まさにその会場にいたのですが、周りの大人達はみんな普通に泣いていた、普通のおじさん達が泣いていた。
絶対に無理だと思った夢がかなった瞬間ってのはヒトを感動させるもの、スポーツとかもそうだよね。
辛い時のアイドルは麻薬である。
漫画モテキの中で出てくる名言である。
国立競技場大会も無事に当選し、万難を排して会場へ。
楽しかった。
これまでのももクロを振り返る集大成的な内容。
デビュー曲のももいろパンチから始まり、怪盗少女~GOUNNまでのメジャーシングルを歴史順に追う展開、最後は新曲「泣いてもいいんだよ」。
いいんですか?
また周りの大人達泣いてたよ。
次はどんな夢を叶えるのかな?次ってあるのか??
終わる頃には、紅白が終わる時と同じような感覚が生まれつつあった。
でも紅白の時とは違って、これで尻すぼみで終わってしまうのではという不安はなかった、このままなんとなく続けてくれたらずーっと応援するよな、もう中毒者だしと思ってもいた。
そのような中、最後にリーダーの百田夏菜子の言葉。抜粋要約。
「自分達は天下を取りにきました、でもそれは芸能界やアイドルの天下を取るという意味ではなく、ここにいるみんなを笑顔にするという意味での一番を目指したい。大きい会場でやりたいとかいうのはあんまりなくて、みんなが楽しんでくれればそれでいいかな。」
泣いてもいいですか?
物語の上にfollowerはついてくると思ってた。実際、0→1、1→10の段階は強烈な物語がファンを惹きつけていくと思うんだけど、ある程度ファンが出来たら、今ある普通の事を普通に続けられる環境を獲得していく事が大事なんだよね。
偉大なアーティストとかは、そういう事を普通にやっている訳だ。たんたんと同じようなライブを何十年も繰り返している訳だよね。
アイドルってやはり花火のような儚い綺麗さがあるのだと思う。
物語が終焉を迎えると同時に線香花火が落ちるように、終焉を迎える事が多い。
ももクロはこれからは物語を売るステージではなく、普通の事を続ける事で魅了し続けなければいけないステージに来たのだ。
多分いままでより大変な作業だと思う。
followerを爆発的に増やすのではなく、継続的に新しい物語を提供する事なく、減らさない活動。100→100の活動のステージ。
これからどのようにパフォーマンスをしていくのか、どのようなブランディングをしていくのか、とても楽しみである。
アイドル界でそこのステージにいくのは珍しいんじゃないかな?
普通はメンバーチェンジとか物語提供ベースなんだよね。
新しいステージに期待しかありません。
だから楽しい!!
ブログネタ:【みんなもブログ書こう!キャンペーン】最近、楽しかったことは? 参加中本文はここから
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僕は外科医だ。
外科の仕事は手術で外科医としてのプライドは手術でしか確保出来ないもの。
当然手術が好きで外科医になるのだが、実は外科医の仕事の半分は手術以外。
化学療法をしたり、終末期対応をしたりするのはよくあること。
今回はもっとレアケースで、手術をして3年くらい経った患者さんが歩けなくなってしまったため、外来受診。検査目的に入院したけど、結局歩けないから帰れず、ずっと入院。そんな話。
手術とは最も遠い存在。
大体そういう患者さんは若者が一手引きうけることになる。
例外なく僕が担当になった。
歩けなかった原因は食事をずーとしていなかったことによる栄養失調だった。
基本的には食べてリハビリするくらいしか出来ることがなかった。
何故栄養失調になったかと言うと、あまり生きる希望がなく、食べるのも面倒になったよう。
全く歩けなくなって、家族に無理やり病院に連れて来られたのでした。
自分で言うのもなんだが、かなり誠意を持って接していた。
毎日話を聞き、信頼関係を築き、少しずつ心を開いてくれた。
だんだんと生きる希望を感じてくれ、食事もリハビリも頑張ってやるようになってくれた。
急性期病院では、長期入院になりそうな今回のような患者さんは
リハビリ病院などへ転院の方針となる。急性期病院は急患のためにベッドを開けないといけない宿命なのだ。
当然、早く転院させろのプレッシャーが強かった。
看護師からも上司からも、事務方からも全てから圧力がかけられた。
3ヶ月近く入院した結果、全身の状態もよくなってきた。なかなか歩けるようにはならなかったが、もう一歩で帰れるというところまで辿りついた。
患者さんからも笑顔が見れるようになってきた。
退院を一週間後に控えたある日、腹痛を訴えた。
以前より腹痛の訴えが多く、その都度痛み止めなどで対応していた。
看護師さん曰く、退院の話が出ると腹痛を訴えると。
つまり退院したくないから仮病をつかっているのではないかと。
そうだったのか。
そんなこんなで痛みはあったけど、退院の方針で話を進めることとした。
退院を2日後に控えたある日、嘔吐した。
ただその時も嘔吐の量が少量であり、なんなら自ら吐いたのではないかという疑惑をかけられた。
ちょうど休日だったこともあり、僕は病院にいなかったため当番の先生が対応してくれた。
翌日病院に行くと、患者さんの意識がなくなっていた。
僕がいく数時間前からショック状態になり、意識がなくなったという。
原因検査目的に各種検査を施行。
各科の先生に相談し、出来ることは全てやった。
家族にも説明し、気管挿管なども含めフルで対応することになった。
急変時も、周りは引き気味で元々生きる希望がないような人だったのだから、強引な延命は幸せではないでしょという同調圧力をかけられる。
急変時に呼んだ時の家族の顔は今でも忘れられない。
涙を流しながら「出来る限りのことをしてください」と訴える家族。
そうこうしている内に急変し、心停止になってしまった。
フルで行うことを約束していたので、挿管もして全力治療。
結局そのまま亡くなってしまった。
家族に死体解剖の依頼をしたが、死因が分かったところで帰ってくる訳ではないのでと拒否された。
結局死因は分からずであったが、術前の検査を全て総合すると、一つの診断にたどり着く。
NOMIだ。
NOMIとは非閉塞性の腸間膜虚血による腸間壊死のことで、特に理由はないのだが腸間膜の血の巡りが悪くなり、腸が鎖落ちてしまうという病。
救急外来などでもよくpitfallとして取り扱われる疾患で、診断が非常に難しい。
手がかりとしては、慢性的な腹痛が続いていること。
そう、彼は嘘なんかついていなかったんだ。
ずっと本当に痛かった。
僕はそれに気づかなかったのだ。
どれだけ誠意を持って接していたつもりでも、それはオナニー誠意で、結局は仮病だと心の底では思ってしまっていたのだ。
今までに何度かNOMIの診断をしたことはあるし、救命もしてきた。
もし違う患者さんだったら気がついたのではないか?
もしもっときちんと話を聞いていたら気がついてあげられたのではないだろうか??
自責の念に襲われる。
お見送りをする前に救急外来に呼ばれた。
意識不明の患者さんが腸間穿孔を起こしており、手術しなければ助からないと手術で呼ばれた。
最後のお見送りを前に手術に向かった。
お腹を開けると、腸間が腐っていた。NOMIだった。
小腸の50cm程度が腐っただけだったので、そこだけ切除する手術で無事に助かった。
手術中になんともいたたまれない気持ちになっていった。
外科医としての本分である手術で一つの命を救うことが出来た。
一方で外科医以外の能力が足りずに落とした命があった。
どちらも同じ疾患を同日に経験した。
僕がするべきことは手術の練習だけではないのだと神様に言われた気がした。
手術が出来ることが素晴いい訳ではない、患者さんを助けることが素晴いいのだ。
そう考えれば、まだまだ磨かなければいけない能力は沢山あるはず。
外科医として必要な能力を磨くことにだけ心酔してきた僕は医師失格だった。
一生忘れられない症例になったことは言うまでもない。
その後は外科医以外にも幅広く勉強するようになった。
もう2度とあんな思いをさせないために。
涙を流す人が一人でも減るように。
外科の仕事は手術で外科医としてのプライドは手術でしか確保出来ないもの。
当然手術が好きで外科医になるのだが、実は外科医の仕事の半分は手術以外。
化学療法をしたり、終末期対応をしたりするのはよくあること。
今回はもっとレアケースで、手術をして3年くらい経った患者さんが歩けなくなってしまったため、外来受診。検査目的に入院したけど、結局歩けないから帰れず、ずっと入院。そんな話。
手術とは最も遠い存在。
大体そういう患者さんは若者が一手引きうけることになる。
例外なく僕が担当になった。
歩けなかった原因は食事をずーとしていなかったことによる栄養失調だった。
基本的には食べてリハビリするくらいしか出来ることがなかった。
何故栄養失調になったかと言うと、あまり生きる希望がなく、食べるのも面倒になったよう。
全く歩けなくなって、家族に無理やり病院に連れて来られたのでした。
自分で言うのもなんだが、かなり誠意を持って接していた。
毎日話を聞き、信頼関係を築き、少しずつ心を開いてくれた。
だんだんと生きる希望を感じてくれ、食事もリハビリも頑張ってやるようになってくれた。
急性期病院では、長期入院になりそうな今回のような患者さんは
リハビリ病院などへ転院の方針となる。急性期病院は急患のためにベッドを開けないといけない宿命なのだ。
当然、早く転院させろのプレッシャーが強かった。
看護師からも上司からも、事務方からも全てから圧力がかけられた。
3ヶ月近く入院した結果、全身の状態もよくなってきた。なかなか歩けるようにはならなかったが、もう一歩で帰れるというところまで辿りついた。
患者さんからも笑顔が見れるようになってきた。
退院を一週間後に控えたある日、腹痛を訴えた。
以前より腹痛の訴えが多く、その都度痛み止めなどで対応していた。
看護師さん曰く、退院の話が出ると腹痛を訴えると。
つまり退院したくないから仮病をつかっているのではないかと。
そうだったのか。
そんなこんなで痛みはあったけど、退院の方針で話を進めることとした。
退院を2日後に控えたある日、嘔吐した。
ただその時も嘔吐の量が少量であり、なんなら自ら吐いたのではないかという疑惑をかけられた。
ちょうど休日だったこともあり、僕は病院にいなかったため当番の先生が対応してくれた。
翌日病院に行くと、患者さんの意識がなくなっていた。
僕がいく数時間前からショック状態になり、意識がなくなったという。
原因検査目的に各種検査を施行。
各科の先生に相談し、出来ることは全てやった。
家族にも説明し、気管挿管なども含めフルで対応することになった。
急変時も、周りは引き気味で元々生きる希望がないような人だったのだから、強引な延命は幸せではないでしょという同調圧力をかけられる。
急変時に呼んだ時の家族の顔は今でも忘れられない。
涙を流しながら「出来る限りのことをしてください」と訴える家族。
そうこうしている内に急変し、心停止になってしまった。
フルで行うことを約束していたので、挿管もして全力治療。
結局そのまま亡くなってしまった。
家族に死体解剖の依頼をしたが、死因が分かったところで帰ってくる訳ではないのでと拒否された。
結局死因は分からずであったが、術前の検査を全て総合すると、一つの診断にたどり着く。
NOMIだ。
NOMIとは非閉塞性の腸間膜虚血による腸間壊死のことで、特に理由はないのだが腸間膜の血の巡りが悪くなり、腸が鎖落ちてしまうという病。
救急外来などでもよくpitfallとして取り扱われる疾患で、診断が非常に難しい。
手がかりとしては、慢性的な腹痛が続いていること。
そう、彼は嘘なんかついていなかったんだ。
ずっと本当に痛かった。
僕はそれに気づかなかったのだ。
どれだけ誠意を持って接していたつもりでも、それはオナニー誠意で、結局は仮病だと心の底では思ってしまっていたのだ。
今までに何度かNOMIの診断をしたことはあるし、救命もしてきた。
もし違う患者さんだったら気がついたのではないか?
もしもっときちんと話を聞いていたら気がついてあげられたのではないだろうか??
自責の念に襲われる。
お見送りをする前に救急外来に呼ばれた。
意識不明の患者さんが腸間穿孔を起こしており、手術しなければ助からないと手術で呼ばれた。
最後のお見送りを前に手術に向かった。
お腹を開けると、腸間が腐っていた。NOMIだった。
小腸の50cm程度が腐っただけだったので、そこだけ切除する手術で無事に助かった。
手術中になんともいたたまれない気持ちになっていった。
外科医としての本分である手術で一つの命を救うことが出来た。
一方で外科医以外の能力が足りずに落とした命があった。
どちらも同じ疾患を同日に経験した。
僕がするべきことは手術の練習だけではないのだと神様に言われた気がした。
手術が出来ることが素晴いい訳ではない、患者さんを助けることが素晴いいのだ。
そう考えれば、まだまだ磨かなければいけない能力は沢山あるはず。
外科医として必要な能力を磨くことにだけ心酔してきた僕は医師失格だった。
一生忘れられない症例になったことは言うまでもない。
その後は外科医以外にも幅広く勉強するようになった。
もう2度とあんな思いをさせないために。
涙を流す人が一人でも減るように。

