WWWA世界シングルとオールパシフィックの2冠王になったんだよね。
初めてね。
そして、1986年の2月にオールパシフィック王座を返上してから、WWWA世界シングル王者として専念して、初防衛を成功してから、8月に大森ゆかりさんに敗れて王座転落してからは、色々とあったんだろうね。
全女で若手がボイコットの事件などもあったりして、居づらくなってしまった部分もあったのかもしれないんだろうけどね。
1987年の12月に全日本女子プロレスでの現役引退をしてから、フリーとして5ヶ月で復帰したんだよね。
外国で試合をする予定でもあったんだろうが、ジャパン女子プロレスでフリーとして参戦。
日本でフリー参戦をするんだったら、ジャパン女子プロレスしかなかったのが当時の選択肢だったんだよね。
ジャパン女子プロレスの選手の受け身に対しての心配などがあったりして、一から軌道修正などをさせて、レベルアップさせるだけでなく、試合をする上で必要な安全面などを踏まえて、試合のレベルが一気に向上していったのかなって感じだからね。
基礎的な側面がマスターした選手に応用などをガッツリさせて、飛躍的にレベルアップしたと生観戦した方々が実感したのではないのかなって。