先日私は、共通の境遇から、全く異なる人生を歩むことになった興味深い3人、というのをネット上で見かけました。
この3人というのは、異なるところで、自分なりの表現をしている人たち。
1人は人気のある成功者、2人は普通の一般人の方だったりします。
この境遇の人たちに特徴的なのが、自分の境遇に何らかの劣等感があり、アイデンティティクライシスから困難を抱えることになるのですが、一部の人はそれを力に変えて、努力をもって活躍する人になるというものです。
この同様の境遇が、真逆の人生を歩む機会になるというのに、私は初め興味をもったのです。
ところが、私が特別印象的だったのは、自分の境遇を自然と肯定的に捉えていた3番目の人、Cさんです。
このCさんは、自分の境遇は確かに不利なものであったことを認めているものの、親ガチャどころか、先代の在り方や選択を肯定的に捉えていて、そのお陰で、自分は今、しあわせでいられることを無理なく表現している人でした。
おそらくこのCさんは、感謝が自然と身近にあって、時間をかけて愛と感謝が自分の中で育ち、ゆたかな世界を自分の人生につくりあげてきた人ではないかと私は思ったのです。
そのため、さりげない言葉や短い文面に、自然な感謝や愛が溢れていています。
このCさんが、また素晴らしいのは、不遇と困難な中を柔軟に生きる力があるだけでなく、その文面をとおして、愛と感謝に溢れた人生や世界というのが、どのようなものなのかを、それそのままに見せてくれていたことでした。
今、世の中がどんどんと変化をする中で、先が見えない不安や、何が正解か分からないことにより、色んな困難を抱えている人が多くいます。
そのうえ、自分の境遇だけでなく、生まれながらの障害に悩んだり、人と同じように出来ないことや、生きられないことに悩む人も少なくありません。
それでも、この愛と感謝がそれぞれの人の中で確かなものになって、育むことが出来たなら、その人たちが生きる力や、言葉や理屈を超えて無理なく導く力になるのではないかと、私はCさんの在り方を知ることで思ったものでした。
そして、その延長線上に、生きがいに変わる「自分らしい何か」をそれぞれの方が見つけられるのではないかとも思うのです。
そう思うと、困難なところに的確な答えを見つけていくのは、難しいように思われるけれど、本当の答えというは、やはり本質的なところにあるのではないかと思っています。
(この文章を書いている最中にふと思い出したのですが、
「告白、そして僕は~ゆりかごに預けられて~」https://www.youtube.com/watch?v=7eVRgA0zli0&t=265s
コウノトリのポストに預けられたこの男性も、Cさんと全く同じで、自分の境遇とともに、自分を育ててくれた両親と、自分を手放すことになった産みの親に大変感謝をしていたのが印象的でした。正に愛と感謝の人です。
私が以前観た内容とは少し異なり、随分大きく立派になられていますが、愛と感謝ってなんだろう。。そう思われる方にも大変おすすめです。)