地位や身分の上下を取り払い楽しむという趣旨の宴会。

概念そのものは、日本では古代からあったと考えられる。
しかしながら具体的にこの名を用いたのは、鎌倉時代末期、1320年代初頭に、公卿・儒学者である日野資朝とその親戚・同僚の日野俊基が開いた会合が、史料上の初見である。
これは茶会の一種で、自分の地位に合わない衣服をあえて着ることで、互いの身分の上下の区別を分からなくして、純粋に才能のある者だけを集めて歓談を行った先進的な学芸サロンだった。
ただ、あまりにも先進的であった為、花園上皇など、公家社会の最上位の有識者からは眉を顰められることもあった。
資朝・俊基の無礼講は、一説によれば、茶道の前身である闘茶の最も早い例と言われる。
また、室町時代の連歌会等も無礼講に端を発すると言う説もある等、文化史的に重要な会である。

なお、軍記物語『太平記』では、史実が誇張され、薄着の女性を侍らせた酒宴であったとか、資朝・俊基の主君である後醍醐天皇自身も参加した鎌倉幕府討幕計画の場だったと物語られる。