【むほん】と読む。

律令制の律が定める謀叛とは、家臣が主君に対して企てる反乱(現代的意味での謀反 ≒ クーデター)に加え、外国と通謀して本国に害をなしたり、亡命したりすることを含む行為の名称。

日本では、外敵通謀と言う意味での謀叛はめったに起きなかった。
8世紀初めには、慶雲4年(707年)、和銅元年(708年)、養老元年(717年)と、100日以内に出頭すれば亡命山沢の罪を赦すという詔が出たが、それは大赦の一部で唐の詔を引き写したものである。
平安時代後期以降は、謀反と謀叛の区別はなくなり、両方とも主君や君主への敵対を指すようになった。

なお、朝廷の許しを得ずに外国へ出国することは禁じられていたこと(いわゆる『渡海制』)が知られているが、異説として外敵通謀の意図を有していなくても、密貿易・留学その他の理由によって唐・宋や新羅・渤海・高麗などへ出国することも謀叛として処罰されたとする説もある。ただし、これについては異論もある。