2世紀 - 3世紀に日本列島に存在したとされる国のひとつ。
倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合(邪馬台国連合)の都があったとされている。
古くから大和国の音訳として認知されていたが、江戸時代に新井白石が通詞・今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読したことから【やまたいこく】の読み方が広まった。
日本の文献には邪馬台国や卑弥呼の存在は一切記載は無く、日本では存在は立証されていない。
所在地について、今も議論が続いている。

『魏志倭人伝』の行程の距離と方角に追従すると、邪馬台国は太平洋の真ん中に行き着くとするとの説が、古くから知られている。
ゆえに、新井白石も本居宣長も、原史料に対して様々な読み替えや注釈を入れてきた。
江戸時代から現在まで学界の主流は「九州説」と「畿内説」の二説に大きく分かれている。
ただし九州説には、邪馬台国が〔畿内に移動してヤマト政権となった〕とする説(「東遷説」)と、邪馬台国の勢力は〔畿内で成立したヤマト政権に滅ぼされた〕とする説(若井敏明の著書『邪馬台国の滅亡』など)がある。
若井によると、筑後川下流域にあった邪馬台国後裔は仲哀天皇の九州遠征により365年頃に滅亡したとしている。