おはよー!
いつもブログを読んでくれて、ありがとう。
日曜の朝、苦いコーヒー、そしてビターなブログで一日を始めてみてはいかがかな?
(なぜ、苦いをわざわざ横文字で言い直すのか?我ながら意味不明。ただ、「苦いブログ」ではあんまり読む気しないよね?)
さて、今日のモーニングコーヒー、テーマは“天才”。
先日、図らずもネットサーフィンしていたら、マイナビニュースの「天才とは?」という記事にたどり着いた。
「あなたが天才と思う人ってどんな人」ってゆーアンケートに対する回答の集計が、上位から順番に発表されていた。
1位:頭の回転が速い人
2位:飲み込みが早い人
3位:発想力がある
4位:すぐに解答を導き出せる
これがベスト4だ。
ところが、辞書で「天才」という言葉を引くと、こう書いてある。
「生まれつき備わった、特別の優れた才能(を持つ人)」(三省堂国語辞典・第四版)
この語意に照らすと、上記の回答はどれも的外れということになる。
なぜなら、
1~4位の回答のどれもが、トレーニングによって後天的に習得可能だからだ。
もちろん、生まれつき頭の回転が速い人はいる。
でも、トレーニングによって追いつける程度の回転の速さなら、“特別”でもなんでもないだろう。
では、天才とはどういう人のことを言うのか?
天才とは、その字のごとく“天賦の才”あるいは“天与の才”だ。
つまりその才能を持っている人は極めて限定的であり、また、その才能を手に入れたいからと言って、いかなる努力を行おうが、いかなるトレーニングを行おうが、もともと持っていない人間には決して入手できない能力ということになる。
たとえば・・・
継続的にヒット作を生み出す能力。
芸術の世界が分かりやすいだろう。
歌にせよ小説にせよ、一発ないし2~3発だけヒットを飛ばす人は無数にいる。
あるいは、ある一時だけ爆発的にヒットし、その後(引退も含め)パッタリ消えてしまうパターンもけっこう多い。
でも、10年~20年~30年にわたって長期的かつ定期的にヒット作を生み出す人は少ない。
歌の世界なら、永ちゃん、サザン、陽水、ユーミン、小田和正、達郎・・・。
小説の世界では、要するに本屋さんでその小説家の文庫のインデックスの棚幅が異常に長く、かつ単行本がしょっちゅう平積みになってるような人(死んじゃった人は仕方ないけど)。
ところで、当時、史上最年少で芥川賞を受賞し、天才の誉れの高かった村上龍氏。
彼は天才だろうか?
話題を作るのはうまいし、作品もいろいろ出した。
でも、まともにヒットしたのは、デビュー作「限りなく透明に近いブルー」と「コインロッカーベイビーズ」くらいなものだろう。
あとは、ヒット作の威光と話題作りで食ってるようなもんだろう。
(個人的には「限りなく透明に近いブルー」は大好きだしすごい作品だと思う。でも、その作品を読めば気づくと思うけど、彼のマインドは作家ではないはずだ。もっと彼にふさわしい別な表現方法があったはずだと思う。なまじっか、芥川賞なんかとってしまったので、小説を中心に表現せざるを得なくなったように思われて仕方ない)
そんな彼の才能を、山田詠美氏はよく見抜いていたと思う。
「すべての男は消耗品である」に対する書評で、村上龍氏のことを「努力家」と看破している。
さて、「天才とは」に話をもどすと、もう一つ言えるのが、
「概念や理論を理解したレベルで即実践に移せること」
を挙げたい。
例えば、野球で言うなら、コーチから「もっとあごを引いて打て」と指導され、すぐできるようになる人。
ピッチャーが「上体の移動が速すぎるぞ」と言われて、すぐ修正できる人。
例えば、スキーや水泳のやり方を本で学んで、すぐできるようになる人。
例えば、「企業は人なり」というマネジメントの基本を学んで、自分の役員報酬を犠牲にしてまで従業員の福利厚生の充実を実行する経営者。
例えば、松下幸之助の著作を読んで「企業は社会の公器」という経営理念を知ったら、即実践できる経営者。
などなど。
どう?わかっちゃいるけどできねーなーってことばかりでしょ。
特に最後の「企業は社会の公器」・・・これは重い。
この言葉を実践しようと思ったら、人員削減は容易にはできない。
やるなら、経営者は切腹、つまり退任と引き換えにすべきだろう。
国や世界が二酸化炭素排出規制のルールやガイドラインを作ってくれないと、いつまでも自分から積極的に実施しようとしない。なぁ~んてスタンスではいられない。
消費税還元セールで庶民の味方づらして、メーカーや下請けの価格を叩くなんて、とってもできない。
資本力を武器に郊外に巨大な小売店舗を展開し、中心市街地の商業に壊滅的な打撃を与えるような戦略は実行できない。
(もっとも彼らは、“消費者のため”を大義名分に謳っているが、だったら車を運転できない高齢者はどうなるのか?しかも市場がおいしくなくなると、今度は経営効率を大義名分にサッサと撤退する。そして巨大店舗を何年も廃屋として放置し、治安の乱れまで呼び込む)
私はこのブログで、自社利益至上主義の企業を批判したいんじゃない。
何事も、頭で理解するのはカンタンで、実践するのが難しい。
だから、そこを楽々やってのけるのが“天才”ってことなんだ。
ってことを共有したい。
冒頭の「天才と思える人」のアンケートの上位は、どれも“頭”の中のことばかりだ。
なぜ、天才=頭脳の優秀さって置き換えられてしまうんだろう。
ここに私は危うさを感じる。
人間をこんなふうに四分類してみる。
①頭がよさそうに見えて、本当に頭のいい人
②バカそうに見えて、本当は頭のいい人
③頭がよさそうに見えて、バカな人
④バカそうに見えて、バカな人
注)ここで言う“バカな人”とは、その仕事において自分の能力を正しく発揮できていない人のことであり、もって生まれた頭がバカということではない。
そもそも、もって生まれた頭がバカな人間なんて存在しないというのが、私の個人的な考えでもある。
経営改革をしようという時に、①~④の中で、誰が役に立ち、誰が足を引っ張るだろうか?
①頭がよさそうに見えて、本当に頭のいい人
すごい人すぎて周囲が敬遠し、意見を言ってくれなくなる。周囲が皆イエスマンになる。
結果、改革をワンマンで進めることになり、他の人を従属的・依存的にしてしまい、結果、充分な改革には至らない。
毒にも薬にもなる人物。
②バカそうに見えて、本当は頭のいい人
様々な角度から周囲の意見をたっぷり引き出し、それらを統合的に判断し、周囲の人たちを主役にしながらも、気づかれぬよう全体を望ましい方向に向けしっかりリードしていく。
結果、全員参画型の改革が成功しやすい。
組織にとっての根治薬。
③頭がよさそうに見えて、バカな人
理論理屈で他者の意見は立派に批判するが、建設的な意見は出ない。
仮に建設的な意見を発したとしても、その案を組織を動かして実現することはできない。
毒にこそなれ、薬にはなりえない人物。
④バカそうに見えて、バカな人
毒にも薬にもならない。
ということで、改革には②の人材が最適であり、①の人材は頑張って力を発揮するほど改革を阻害しかねない。
そして、もっとも阻害するのが③のタイプである。
さて、そろそろまとめに入るが、天才という言葉が「頭の回転が速い」程度の人に安易に用いられると、③のタイプ、すなわち「頭がよさそうに見えて、バカな人」が増えてしまうことが危惧される。
天才でもないのに天才なんて言われると、バカな人ほどその気になって、「自分は天才かな」とか「自分は頭がいい」とか、大いにその気になって、どんどん頭でっかちになっていくからだ。
だって、本当に頭のいい人だったら、「天才」なんて言われたくらいで喜ぶはずないよね。
頭のいい人ほど、頭の良さなんて価値のほんの一部でしかないってこと分かっているから。
そして世の中、頭のいい人なんて掃いて捨てるほどいるってこともわかってるから。
じゃあ、やすにいさんはもし「天才」って言われたら、喜ぶ?喜ばない?
う~ん、かなり嫌な質問だな。
もちろん、喜ぶなんてもんじゃない。有頂天になるだろうな。ハハハ・・・。
ということで、私の思う天才とは?
1位:ヒット作を継続的に長期間にわたって生み出せる人。
2位:頭で理解した概念や理論を、即実践できる人。
3位:度を超えた努力をできる人。
4位:次元の異なる概念を結びつけ、そこに真実を発見する人。
(私的には、「銃・病原菌・鉄」の作者、ジャレド・ダイアモンド氏など)
5位:日常的、常識的、当たり前って思われてることを疑いたくなる“好奇心”
上記に対する賛否は、読者の皆様にお任せします。
そーいえば、アンケートの第三位に「飲み込みの早い人」ってあったけど、
そう思ってる方、是非エジソンやファーブルの伝記を読みなおしてほしい。
彼らのような天才が、いかに飲み込みが遅かったか。
そして、その飲み込みの遅さこそが、彼らの天才ぶりをいかんなく世に発揮させた最大要因だ、と私は思う。
さらに、飲み込みが早い人ほど、実は成長が遅い。
なぜなら人間は、分かった気になると思考が止まり、さらにその奥を考えようとしなくなるからだ。
ビジネスパートナーを選ぶなら、飲み込みの早い人より、すぐに回答を出さない“洞察の深い人”のほうがお勧めですよ。
ではまた。
byやすにいさん