聖杯が招き寄越した自身の従僕となるサーヴァントを前にし、ウェイバー・ベルベットは確信した。

 自分には『運』がないのだ、と。

 ウェイバーはこの世の秘匿技術、神秘の法たる『魔術』の教えを継ぐベルベット家の三代目として生を受けた。
そして、幼いウェイバーは先代である母より与えられた魔術という学問を誇りとし、のめり込むようにその教えを学んでいった。そんな幼少時のウェイバーは神秘の継承者であり、自身の師たる母をとても尊敬していたものであったがしかし、年を重ねるにつれ気づく。母は『根源』を目指してはいないのだ。
 魔術師とは即ち、『根源』への探求者だ。魔術とは所詮、この世全ての初源である『根源』に至るための手段の一つに過ぎない。しかし、だからこそ魔術師は『根源』への一助、先代から受け継がれたその秘奥を誇り練磨を重ねるのである。
 それをなんたることであろうか! 彼の母は真理への階(きざはし)である魔術を、祖母との思い出だからなどという凡俗な理由で継承したのだという。このことを知った時点でウェイバーは親としてはともかく、師としての母のことは見限った。
 そしてここで第一の不運。本格的に魔術を学ぶために別の師を求めたウェイバーであるが、どういうわけであろうか、母はそんな息子の望みを一顧だにせず、決して許さなかった。そこから数年、ウェイバーは仕方なく、独学にて魔術を学んで行く。

 そんなウェイバーにも転機が訪れる。両親が共に流行病で没したのだ。
当然、悲しくはあった。母としては頼りになる人であったし、父も平凡な男ではあったが優しい良き父親であった。惜別の情も湧いてくる。
 しかし、ウェイバーの魔術に対する執着は両親に対する哀悼の想いよりも強かった。母という軛(くびき)から解き放たれた彼は家財一式を擲(なげう)つことで入学資金を捻出し、裸一貫で魔術の最高学府たる時計塔の門を叩いた。

 ほとんど独学の身で魔術師を束ねる魔術協会の総本部でもある時計塔へ迎え入れられたという偉業を成した自分は時計塔開闢以来の麒麟児であると自負するウェイバーであったがしかし、その幸先は決して良いものではなかった。過去、数多の天才たちが味わってきたであろう周囲の無理解という辛酸を彼も舐めることとなったのだ。
 曰く、魔術とはその血に刻む物である。真理への道は一日にしてならず。遥か遠い『根源』への到達は100年に満たぬ人ひとりの時間でなし得るものではなく、また、魔術の行使に不可欠となる擬似神経『魔術回路』の数は先天的に定まっており、故に魔術師は自身の研究を進めると同時にその秘奥を伝えるべき後継者の魔術回路を増やすことに腐心する。その結果、歴史を重ねた家ほど名門とされ、そこの魔術師は優秀であるとされる。
 信じがたいことに、最高学府である時計塔でもそんな考えが主流を占めており、ウェイバーはまだ三代目であるというただそれだけのために軽侮の視線を向けられていた。
 歴史を重ねることがその家の魔術師にとっての助けとなる。そのことは彼も否定しない。時の積み重ねによって得た力は確かにそれを継承したものを利するだろう。だがしかし、同時にこうも言えるではないか。それだけ長い間、その家は『根源』に至るにたる人材を輩出することができなかったのだ。
 歴史の差などと言うものは経験の密度によっていくらでも覆せるものだ。魔術回路の差などというものも術に対するより深い理解と効率の良い魔力運用によって十分埋めることができる。少なくともウェイバー自身はそれを固く信じていたし自身こそがその好例たらんと励んでいた。
 
だが、そんな彼に対し、現実はどこまでも非情だった。ウェイバーの血が浅い、ただそれだけの理由で魔道書の閲覧さえ渋られ、対し歴史を重ねた家系の魔術師はそれだけで優遇されていた。
あまりに理不尽。ウェイバーはそんな旧態依然とした魔術協会のあり方を糾すため一本の論文をしたためた。構想に3年、執筆に1年をかけたウェイバーの智の集大成であり、旧き考えに拘泥する魔術協会に投ずる一石となるはずだったそれは、不幸にも一人の講師の手により日の目を見る機会を永久に失った。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。九代を重ねる名門アーチボルト家の現当主、降霊科の講師でもある彼は、ウェイバーの論文を軽く流し読みしただけで、あろうことかそれを妄想扱いし、破り捨ててしまったのだ。
まさかここまで腐っていようとは! 学徒の範であるべき筈の講師の振る舞いにウェイバー憤慨した。しかしそれに対し、すぐに何かできるということもなく憤懣やるかたない日々を過ごしていた彼の耳に一つの噂が飛び込んでくる。

あの憎き講師ケイネスが、その身に更なる栄光を求め極東にて行われる『聖杯戦争』なる魔術の競い合いに参加するのだという。その聖杯戦争という競技の詳細を夜を徹して調べ上げたウェイバーはその驚くべき内容を知った先から心奪われた。
万能の願望機『聖杯』を巡るバトルロイヤル。七人の魔術師たちが世界にその名を刻んだ英霊たちを使い魔として使役し、我こそが聖杯を手にするに相応しき強者であると覇を競う。
その結果は誤魔化しの一切通用しない優劣の格付けとなるだろう。この争いに勝利したその時は、時計塔の凡愚たちもこの身の優秀さを認めざるを得ないはずだ。
それは今のウェイバーにとって何よりも魅力的なことに思えた。
さらにここに来て、ウェイバーにも幸運が舞い込む。
ケイネスの依頼で届けられたさる英雄縁の品。本来はケイネス本人の立会いのもと開封されるはずだったそれは、管理課の手違いから一般の郵送物とともにケイネスの弟子という立場にあるウェイバーに取次ぐよう託されたのだ。無論ウェイバーはそれが英霊召喚の為の触媒であるとすぐにわかった。
そのような好機を逃すわけもなく、彼はすぐに単身日本へと飛び立った。この時がこれまでの人生に於いて最も幸運な時であったことは疑いようがない。

しかし、幸運が急に舞い込むように、不幸というものもまた、急に訪れるものであった。

飛行機に乗り初めて日本の地へと足をつけたウェイバーを待っていたのは、空港にて取り違えられたらしい旅行カバンであった。
慌てて周囲を確認し、空港スタッフにもアナウンスを入れさせたが結局、触媒の入ったカバンが見つかることは無く彼は暫し自失した。不幸中の幸いは別のカバンに入れていたウェイバーの研究器具類が無事であったことだが、一級品であったろう触媒を無くしてしまったことは変わらず焼け石に水程度の幸いである。
気落ちしたウェイバーであったが、聖杯戦争の舞台である冬木市にひとまずは到着し、現地に済む老夫婦、マッケンジー夫妻に暗示を掛けることでしばしの宿を手に入れたころには気を取り直していた。

ケイネスの用意した触媒など無くとも、英霊(サーヴァント)の召喚に際してはマスターと似た性質の英霊を聖杯が宛てがってくれるという話だ。
優秀な我が身に配されるならば、それは一級品の英雄であるはずだ。
そう自分を鼓舞し、彼は冬木の地に来てから見定めた召喚地。冬木市は深山町の雑木林へと趣いたのだった。

かくて、儀式は執り行われる。これから行うのは音に聞こえし兵者共、神話、英雄譚の存在を現実に降ろし、競い合わせる魔術戦、ここから先は命懸けだ。
ウェイバーは聖杯より与えられた参加資格たる令呪の発する微かな熱をその手に感じながら召喚の祝詞を紡ぐ。

「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する」

 思い起こすは屈辱の現在(いま)。その現実を振り払い、自身の価値を周囲に示すための戦いだ。その為に賭す命を惜しむほど、このウェイバー・ベルベットの名は安くない。
 決意をその胸に。敷かれた陣に魔力が循環していくのを見届けながらウェイバーは呪文の最後の一節を口にする。

「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

呪を紡ぎ終えるが早いか、魔法陣は輝きを発し、今ここに一つの奇跡を顕現させた。
 ウェイバーの眼前には先ほどまで存在しなかった一人の女性が立っている。長い金糸の髪に整った造作、身に纏う緑を基調とした意匠は戯曲に出てくる森の精を思わせる。ウェイバーより少し年上にも見えるがどことなく幼い造りの容貌であり、少女と言ってもあまり違和感は覚えないだろう。
 英雄という言葉に、筋骨逞しい男が現れることを半ば想像していたウェイバーは僅かばかり張っていた意識が緩みそうになったが、少女の手にする杖を見とがめて、改めて気を張り直す。
 その手にする杖が示すことはつまり、少女が魔術師――『キャスター』のサーヴァントであるということだ。七騎の英雄が集うこととなるこの聖杯戦争に於いて、キャスターのサーヴァントは最も造反の危険を孕んだサーヴァントであるとされている。その理由は極めて単純であり、竜種や幻想種が跋扈した、現在よりも世界に神秘が根強かった頃に生きた彼らは召喚者である魔術師――『マスター』に比べ、総じて魔術師としての技能が高いのだ。好んで自らより劣るものの軍門に下るものはいない、ということである。
 だからウェイバーは自らのサーヴァントに決して侮られることの無いよう振舞うために、油断なく目の前の少女を見据え、その第一声を待つこととしたのだ。
 そうは言えど恐らくはまずは単純な名乗りからであろうというウェイバーの予測はまたも裏切られる。
 ウェイバーと目のあった少女は名乗りを上げるでもなく、視線を外し、キョロキョロと、勘違いでなければどこか不安げに辺りを見回したあと、不審気に自らの頭に手を当てる。そしておずおずと高位の魔術師からぬ態度でウェイバーを混乱と失望に叩き落とす一言を口にするのだった。

「あの……、聖杯戦争ってなんですか…………?」