真性天才 | 『e視点』―いともたやすく行われるえげつない書評―

真性天才

先週の3連休、国立新美術館で開催中の「ピカソ展 」に行ってきた。







出展作:

「ドラ・マールの肖像」






作品数の多い画家で有名なピカソだけど、

会場を2箇所に分け、250点近い作品がやってきた。

この出展数は、ホント奇跡的な数です。


これほどの規模のピカソ展は、

世界的にも、そうそう見れるもんじゃないと、友達と二人で行ってきた。


3連休の中日ということもあり、思いの外、人は少なかった。

出展作の多さもあり、特定の作品に人が集まりすぎることがないってのも良い。

(それでもまあ、ゆっくり見て回るには、程遠いほどの人です。)


そんなわけで、一つ一つの作品をちゃんと見ながら、会場を回ることが出来た。



ところが、

大きいのから小さいのまで、それなりにいろんな美術展を見てきたつもりですが、

これまでに経験したことの無い感情で、頭の中がいっぱいになってしまった。


あまりに桁違いの才能に触れてしまって、

それは、自分のキャパを超えすぎていて、

なんというか、どんな対応をしていいのか、まったくわからなかった。


以前、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」に行ったときさえ、

『人間の才能ってのは、磨いていけばこんな境地にまで辿り着けるんだ!』

と、ポジティブに捉えることができたのに、

今回は、そんな甘っちょろいポジティブシンキングすらも無理だった。


おそらく、ピカソという人は、

太古の海で単細胞生物が誕生してから現在に至るまで、

最も才能を持った個体なんだと思う。


そんな人の才能を目の当たりにしてしまったら、リアクションなんか取れるはずもない。



ピカソの逸話の一つに、

「13歳くらいのときにピカソが描いた絵を見て、

画家だった父親が、画家をやめてしまった」

とか、

「教えることがない、という理由で、

どこの美術学校にも入学させてもらえなかった」

というエピソードがある。


そんな10代の頃から、

彼は、次々に作風を変えながら、作品を作り続ける。


今回の展覧会でも、

一人の芸術家の展覧会とは、到底思えないような多様な作品が展示されている。


おそらく、

彼を除いた全ての芸術家は、

「自分の作風」とか「自分らしさ」を追求しているし、

彼を除いた全ての偉大な芸術家は、

知らない作品でも、作品を見れば作者が誰かわかる事が多い。


でも、

本当の天才にとっては、

それすら必要ないんだろう。

ピカソの作品が描かれた年代を見ながら作品を見ていくとよく解かる。

新しい表現方法を思いついて、

1,2年で、その表現の終点に辿り着いてしまっている。

その終点っていうのは、

彼を除いた全ての偉大な芸術家が一生を費やして辿り着けるかどうかギリギリの場所だ。



これほどの才能を見せ付けられて、

一体何を思えばいいのだろう・・・。




というわけで、

2つの会場で開催されているピカソ展の

片方の会場で、1/3くらいを見た時点で、

僕も友達も、なんだか疲れきってしまっていた。


そんな疲れきった顔で、残りの作品をだらだらと見て回った。

「すげーなぁ・・・」

という陳腐な言葉しか口を出ない。


ダリがやってたこと、

デュシャンがやってたこと、

リヒテンシュタインがやってたこと、

などなど・・・。

その全てが、そこにはあった。

ピュアアートの世界だけじゃなく、

グラフィックもあった。


つくづく、

今、自分がアートの道を選んでいないことに安心した。

もし、アートをやっていたら、たぶん、これから先の人生を過ごす希望は失ってしまうだろう。

よかった。




そんなこんなで、

長々と、よくわからんことを書いてしまいましたが。

まあ、それほどの衝撃だったのです。


ただ、

そんな展覧会の会場の中で、


「いや~、この人がおらんかったら、芸術の歴史変わっとったやろーねぇ。

武の歴史を1日で50年進めたという、天才愚地克巳 みたいなもんやねぇ。」


とか、


烈海王 に『貴様の要る場所は、すでに我々が4千年前に通過した場所だ』

って言われたセルゲイ・タクタロフの気持ち、わかるわー。」


などといった、発言を割りと大声でしてしまい、

空気を読めていなかった点を、今はただただ反省しています。