信仰=世界観
それぞれが、
それぞれの世界を
生きている。
自分の世界を
生きている
と
感じられる時期があって、
それは、
第2段階目と
第4段階目。。
まず
第2段階は、字義的な時期。
字義的な時期は、
自分の
見たり、
聞いたりしたことを
事実と信じている時期です。
自分の感性を
正しいと感じられる時期
です。
ただ‥
邪魔が入ります。
これが、好き
これが、いい
と思ったものを、
親が、
それは〇〇だから
ダメ‼︎
と、止めてしまう。
その経験が、
大人になって、
「自分って何がしたいんだろう」
という思いに
なる
原因になります。
私にも
そんな記憶があります。
かわいいキャラクターの
学習机に
ピンクの椅子が
欲しかったのに、
母が
「そのうち飽きちゃうから。
大学生になっても
使えるように
こっちにしなさい」
と、
木のダイニングテーブルに、
皮のクッションのついた
これまた木目の椅子
ぜんぜん
かわいくない‥‼︎
でも、
結局
母の言うことに従い、
キャラクターの学習机は
諦めました。
今になって
母の言うことは、
理にかなっているのは
よくわかります。
でも
そうやって、
自分は
これが、好きだなぁ
いいなぁ
という
ときめきや
ひらめきが、
くすんで
いっちゃうんだなぁと
思うのです。
こうすべき
こうしたほうが無難
という基準で
選んでしまうのです。
そんな私も
母になり、
第2段階目を生きている
息子のおもちゃリクエストを
「それは、目が悪くなるからダメ!」
と邪魔をしてしまう。
とほほ。。
親として
言わなきゃいけないときは
あるけれど、
息子が
これ好き、これいいな
と、ときめきながら、
自分の世界を
生きていると
感じている
かけがえのない時を
見守れるスタンスで
ありたいなと
思います!
名残惜しんでいます。
