今回のお話も
キリスト教をベースにした
お話です。
恥とは?
聖書は
人間が、
神
他者
自分自身と
分離していることを
「自分に何かが足りない」
と感じている
そんな
不安定な状態だと
あらわします。
人間は、
「恥ずかしい」
と感じた時、
その恥ずかしさを
何とか解消しようと
思います。
では
どのように
解消するのでしょうか?
それは、
分離して
何か足りない
自分を
自分に
一致させる
ことに
よってです。
普段
わたしたちの目に
分離した
自分は、
どのように
写っているのでしょう?
神が
~してはならない
と言ったことをしている
ダメな自分
親が
~してはならない
と言ったことをしている
ダメな自分
社会が
~してはならない
と言ったことをしている
ダメな自分
・・・として写っています。
ダメな自分を
恥ずかしく思い、
そして・・・
ダメな自分を
よい自分に
引き戻そうとする。
よい自分は、
「良心」ともあらわせます。
良心は、
「もっと隣人を愛せるように」
「もっと謙虚に」
「もっと役に立つように」
とダメな自分に
伝え、
ダメな自分を
良い自分に
一致させようとします。
しかし
「もっと~になる」
ことを求められる
ダメな自分は、
そのままを
肯定されません。
なので
ダメな自分は、
ダメな自分のまま
一致することが
できません。
どうやら
良心では
本当の意味で
分離した自分
(ダメな自分)を
よい自分に
一致させることは
できないのです。
だから
「こんな自分じゃダメだ」
と
思いつづけて
います。
それだけでなく、
良心は
良い悪いを判断する
神の役割に
取って代わっています。
神の役割を
果たそうとする
人間は
結局
神とも分離したままです。
最近
「ダメな自分でも大丈夫」
という
メッセージを
よく耳にします。
このメッセージは、
ダメな自分を
一致させることを
止めることから
はじめようと
言うことなのかも。