信仰=意味づけすることです。
「何で」と問いながら答えを見つけ、悩ましい自分を受けいれることが、意味づけです。
キリスト教徒にとって
「神の愛」の本当の意義について教えたイエス・キリストの言葉や生き方、
イエスの教えた「神の愛」そのものが、「何で」の問いの答えとなります。
私は職場で同僚と打ち合わせをした時に黙ったままでした。
「黙ったままのだった自分」受けいれるためにどのように問い、悩んだのかと言いますと、
「なぜ神は、自分を、話しの下手な人間にしたのだろう」
「でも一生懸命話をしている時って、相手のことを聴いていない。自分は、上手く話せない分、相手に耳を傾けることができるようにして下さったのだ」
などと考えるのです。
このように人間の知識だけでは、簡単に答えが出せないような問いに、独自の答えを提供してきました。
簡単に答えが出せないこととは、生き死に、地球や生命の誕生、災害などです。科科学技術が発展しなければなおさらです。
それまで分からなかったことがずいぶん解明されてきました。それでもなお解明しきれない事柄に答えを提供するものとして宗教は、存在し続けるのだろうと思います。
誕生・死は、まさに解明されていないことの多いものです。
