6月11日少し風が強いが晴れていた。少し遅く起きてしまったが、休みのpun子も暇そうなので、近所にある大きな花やに行ってみた。
サッカーコート程ありそうな巨大ビニールハウスの中に敷き詰められた植物たち。圧倒される量であった。寄せ植えなんか始めようかななんて思ったのは、つい先日、弱っていた観葉植物の植え替えを行ったからだ。
しかし、中身を一周ぐるりと見て回っただけで疲れてしまった、店を後にしたときひとつだけ気になっていたことがあったのだ。
それはハウス内の棚の下にひっそりと置かれていた、ミニBonsaiコーナー。何が置かれていたのかも忘れてしまったが、急にBonsaiスイッチが入った。
携帯で調べるところ、小さな鉢で観賞用にできそうな素材と用品を置いている店が近郊にあるということで、さっそく無鉄砲に向かったのである。
土曜日の昼過ぎではあったが客は我々と、もう一人のみ、客なのか隣人なのか。
陽気な店主が鼻歌を豪快に、もはや流しの如く歌いながら仕事をしている。
私はさっそく素材選びに取り掛かった。種類が多く値段も手ごろで、本当に小さな苗もあるので、吟味に吟味を重ね、ついつい買いすぎてしまいそうになる。
ところで、私はというと、某スクール的な洒落乙な一軒家のBonsai先生に2度程、たった2度程であるが手ほどきを受けており、ほんの少しだけかじった程度の知識・・・いや記憶をもうていたのだ。無論素材となる木の知識はおろか、小さな鉢に小さな素材を植え替えて楽しむ。
大きくなりたい彼らの行く手をはばみ、私好みの形にしていく。そんな程度なのだ私など。
だが私にとって、ベランダでプランター栽培している野菜や観葉植物達も好きなのだが、Bonsaiはまた一味違う。Bonsaiとあえて表記するのは私がやってるのは盆栽の真似事であり、盆栽のいろはが備わっていない内は所詮海外から見たNIPPON。「スシ・テンプラ・サムライ・ハラキリ・ニッポーン」と同じなのである。
私は私の盆栽をBonsaiと評価する。
ただただ好きなのだ。植物が。木が、草が、花が緑が、彼らが持つ魅力をただただ好きなのだ。
Bonsaiという形で自分の好きな自然を小さな世界に表現したいのだ。
そこには角度によって表情が違い、ストーリーが生まれ、鉢を前に一服するだけの世界がそこにはある。そう感じてやまぬ。
かつて学生時代の私はエレキベースやマイクを片手に表現者側になろうと好き勝手に体を震わせ、全身で欲求を世間にぶちまけようとしていた。脳みそブシャー状態で明日のことだけ考えていた。が、
しかし、社会に出てやめた。その余裕がなくなったから。その程度だった。自分には才能も努力もなく、ただ大声で騒いでいただけの都会の騒音であり、なんら社会に役にたたぬ、ただの酒税たばこ税の納税者でしかなかった。
金はかせがねばならぬ、人の役にたたねばならぬ、下らぬ現実逃避などやめて、大人にならなければいけなくなったのだ。
とまぁ音楽は人生をかえるというが、あれは本当だと思う。
大声で叫んでいたとき、あの時私は生き生きしていた。それこそ真似事ではあったが、自分の内にある衝動を爆発させていたのだ。
情熱をそそぐことのできる何かを見つけないことには、私は1か月前の自分と何ら変わらぬまま、また社会に戻っていくんだろう。繰り返すことのできないプレッシャーはすごい。
Bonsaiはどこまで私を夢中にしてくれるかは分からないが、少し様子を見ようと思う。
6月11日我が家で引っ越しを済ませたBonsainiに名前をつける。
紅紫檀の紅たん。
と,ニレケヤキのケヤキである。
先述したように、レッスンで作った錦松の小松と旭山桜のサクラ。
併せて4種。今、いろいろと手入れについて勉強中の身である。

