キャンプについてつまらん持論を語っておき、申しわけながらその続きなのだが。

 

pun子と朝食をしながら今日の予定を模索。

当然、体をこぎれいにしたいと意見は一致。付近にホテルの日帰り入浴は数ヵ所ヒットしていた。早く風呂に入れればそれで構わん。とホテルで検索していたが、せっかくなのでとの理由から、某有名標高の高い温泉施設に決定。

急な山道をやや30分ほど走らせ、着いたのは想像とは異なる、きれいなロッジ風の建物。

写真に収めたかったが、雄大な大雪山系を眺めながらの熱ーい露天風呂につかる。こんな贅沢はない。

自然と気が引き締まる思いで、私は、かなり暑い風呂で真っ赤になったからだ露出し、大雪山に向かって背筋を伸ばし、何らかの清らかな何らかを頂戴しようと、それとない思いで立っていたのである。なんとなく気分は満足。

その後、山を下り、外国産のメロンをカットしたものにソフトクリームがのっけられた、おばけのアッチに出てきそうな甘味を頂いたのである。

私自身甘いものをあえて好んで注文することはないが、数年前に某ラベンダー園で食べたカットメロンとアイスのソレに感激していたことがあったので、季節外れの外国産メロンとはいえ、食べることができて良かった。

 

甘いものを食べ、時刻も昼過ぎに。そろそろ、食事にしようかとpun子と相談し、本やら携帯やらで調べてもらった案を検討。

どうも決まらず困り果てていた。

なぜ困るかというと、私は旅行中に思うことがある。私にとっての旅行といえば、山や川をはじめとして滝や風景の観光名所をはじめとして、温泉に浸かり、地元の名産を食すことが楽しみなのであって。これについては大体の人間が同じ感想を持っていることだろう。

 

しかしどうか。食について明確な名物にありつくことができるか、できないかははっきりしている。例えば、私の住む政令指定都市としては、ジンギスカンやみそラーメンが有名である。まぁ海産物も有名だが、そもそも、羊はこの都市で育てれたものではない。ラーメンにしても別にこの地固有のみそが古くから伝えられてきたわけではない。先人の開拓史を批判する気は毛頭ない。

では、名物とは何かね。それ相応に羊を食べる文化があったにせよ、この都市の名産でなければ根付いた文化に従っているに過ぎないではないか。

アメリカ合衆国のいかなる地に降り立ったとしても、ハンバーガーとドーナッツとチェリーパイを食すことと同じなのである。

仮に地元に名物があったり、生産量が日本有数の肩書がある商品があったとして、その土地で付加価値をつけて売ることについては異論はない。その地で食したいと思う意欲がわくからである。

ではその土地自体に人を引き付ける魅力があったとしよう。しかしこれといった特産はない。私の都市であれば、特別な名産に極端な付加価値をつけることはない。みそラーメンだってジンギスカンだって、ほかの飲食店と何ら変わらない値段だろう。実際に付加価値などつけてしまえば都会での競争に揉まれ消されることは明らかだからだろう。

地方都市の食事について、なんらその土地と因果関係のないメニューに付加価値をつけ、しまいには、町全体が観光地として食事代の底上げを図っていたりするのである。

例えば名産がカニなどとそもそも金持ちが食すものについて鮮度が違うと高値をつけて売るのは仕方あるまいが・・・

なんともふに落ちないことだ。

 

地方には地方の良さがある。豊穣な土地があり自然が残っている。新鮮な作物がとれ、皆広い空と一緒に生活しているのだ。

出来れば、その土地の身の丈に合った活性を行ってほしいものだ。

地方で卵料理とカレーを組み合わせたものに1000円以上払う意味は私には分からんと言っているのだ。それであれば地元でとれた新鮮野菜を簡単に茹でたり焼いたりして提供してもらった方がよい。その土地と生産者に銭を払う価値はあろう。

そうでなければ、足元を見るような真似はしないほうが良いと考える。