外国にルーツを持ち、日本語に不自由を感じている子ども

と聞くと、来日して間もなくて日本語の話せない子どもをまず想像するのではないでしょうか。

私の市の日本語指導支援員向けの書類や資料を見ると、想定されている対象は日本語ゼロ(もしくはそれに近い)の子で、彼らがクラスでついていけるようにするのが目的

とされているように思えます。

 

ところが実際はそうでもありません。

私の少ない経験の中ではありますが、「日本語が話せない」子を、指導したことは一度もありません。もちろん母国語のアクセントがある子もいますが、「おはよう」「ありがとう」から教えなくてはならない、クラスの子や先生が何を言っているのか分からなくて困っている、という子を担当したことは一度もありません。大抵の子はすでに極めて楽しくクラスで過ごせています。

 

でも、担任の先生には「この子、まずいぞ?」と感じるポイントが何かある。だから、我々が呼ばれるわけです。例えば

①子どもの言うことがよく伝わってこない

②先生が諭したり注意する言葉が子どもに伝わっていないように感じる

③ひらがな、カタカナの習得が遅れている

④計算はできるけど文章題やテストの問題が読めていない

⑤文が読めない、書けない、漢字が書けない

など。③~⑤は分かりやすいのですが、①②は、言葉の問題なのか、年齢的なものなのか、時にはその子の特性に関わる問題なのか、判断が難しいところです。

 

ともあれ、「ありがとう」「おはよう」というレベルではない。じゃ大人のように文法を教える?うーん、でもそのレベル以上の会話ができてしまっているんだから。週に何度も何時間も指導できるわけでもない。じゃあどうしよう?数年試行錯誤するうち、やっぱりとりあえず国語だろう、と国語の教科書を先取りする方式を最近は取っています。

 

①物語や説明文は、読めるようにする。漢字にふりがなをつけ、長い文や見慣れない語彙がある場合は文に切れ目を入れる

②分かりにくい言葉をピックアップし、イラストで示したり易しい言葉に言い換えて説明する

③一度ぐらいは漢字練習もしておく

 

とにかくクラスで勉強する時に「何の話だかわからなかった」とならないように、と思ってます。一対一で読ませて解説して、とやってると、意外な言葉を読み間違っていたり知らなかったり誤解してたりします😅

 

ただ、このやり方が正しいのかどうか。

日本語指導支援員に求められていることなのか、何より子どものためになっているのだろうか。

時々とても不安になります。

 

※ブログの内容は、個人の狭い経験を踏まえた個人の感想・主張です