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【水鏡×自然×対峙】

再び裸足の皆様と、
今回はコラボ企画ということで。

毎度集まるべくして
集まる感じのメンバーがそろう。

「抗う自分に気付いた」
という感想が印象的でしたが、

感じているはずなのに
認識できいなかったり、

気付いていない自分が
水と対峙すると色々出てくる。

自然と対峙すると
気付きがある。

例えば施術についても
受けるいちばんの意義は
"気付き"であり、

他者に触られないと
絶対に認識できない部分が
身体にはある。

環境に適応するために
癖をつくりだすのが仕事のような脳だからこそ、
そこには必ずバイアスがかかっているからだ。

わかりやすく言い換えれば
"感覚を封じ"て
現代人は暮らしている。

それ自体は防衛策として
必要なのだが
当たり前になり過ぎて
その自覚がないと
"そもそも"を忘れてしまう。

「何で生きているのか」
それすらわからなくなる。

封じた感覚を解放させるためには
"気付き"=自覚が必要なのだ。

自分ひとりでは"気付き"は得られない。

他者や外の世界を介すことで
"気付き"がら得られ
自分の世界がはじめて認識できる。

客観的に自分を認識できるツール(きっかけ)を持つことは

確かな自分を成立させるには
不可欠である。

だからこそ人は
自然と対峙するわけだが

そこから逃げたのが
先般の茶番デミックでは
なかろうか。

そして日本人は己を見失い
迷走した。

自然とは対峙するしかなく
逃れることはできない。

そこから逃げようとすると
ろくな結果にならない。

これは免疫という観点でみても
同様でしょう。

"気付き"を得られる環境が
あるかどうかで

人生の進み方やスピードは
大きく変わってくる。

私は能登からくっついてきた方々の精算が
お滝でようやく終わり、

ひと段落。

バチバチの水の礫が
印象的な一日。

この感じだと
来月も楽しみ。

#滝行 #野生 #目覚め #マンサンダル #自覚 #唯識 #鎮魂 #供養

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