針谷家は祖父の代に谷中村から藤岡町(現栃木市)に移住。村はその後、鉱毒を沈殿させる渡良瀬遊水地をつくるため強制廃村となった。遊水地内には、共同墓地や寺、神社、役場の跡など、村の面影をわずかに伝える一帯が残された。
針谷さんがこれらの遺跡の保存にかかわるようになったのは、藤岡町議だった一九七二年。遊水地内に国が整備する貯水池の予定地に、共同墓地などが 入っていることを知り、仲間と「守る会」をつくって反対。国がこの一帯を避けて貯水池を造った結果、谷中湖は今のハート形になった。
二十年ほど前、守る会の三代目会長に就任。共同墓地のそばに郵便受けを設け、遺跡を訪れる人たちに感想を書き込んでもらう連絡ノートを置いた。その内容を手書きで写した「谷中村たより」を、年三回ほど発行。遺跡を訪れる人たちのガイドも務めた。
妻タマ子さん(84)によると、針谷さんは「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」という田中正造の言葉を、若いころからよく口にしていた。
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東京電力福島第一原発事故後、住民が故郷を追われる構図が似ているとして足尾鉱毒事件が注目されるようになり、遺跡を訪れる人が増加。特に昨年は正造の没後百年に当たり、ガイドを求められることが増えた。疲労が重なり、年末に体調を崩した。
谷中村たよりは昨年九月発行の七十一号で止まっていたが、近くに住む一人娘の山口とみ子さん(60)が「父が続けていたことなので」と引き継ぐこ とを決意。最新刊となる七十二号を今月発行した。針谷さんの死去を知らせるとともに「渡良瀬遊水地にたたずんで、つらく苦しい過去 を経て今があるというこ とを感じていただけたら故人も本望だと思います」とのメッセージを添えている。遺跡の郵便受けに置かれている。
