なんかね、今日は一つわかったことがある。
自分のこと。
小さな頃から何かをちまちまと。ちまちまと何かをやり進めていく事を好む私。
最初は、編み物や細かい絵や、物体となるものに関してそうだったのに、最近は何をするにも1からコツコツとやりたい。
掃除も洗い物も料理でさえ、流動的に行うのではなくて、1をつくって、そしてそこから順番が狂わないようにタスクを作り、それに沿って、更に違うちまちまと交互に同時進行しながら行う。
それが普通になってしまった。
だから、洗い物たまる。今日出た洗い物は洗うのは三日後?四日後?
それでも、順番を狂わせないで一つ一つやりたい。
あくまでプライベートの話でね。
仕事や人とのコミュニケーションは合理的に流動的に目標を達成したりチャレンジ精神を持って行うのを好む。
だけどこの狂気じみた自分へのしばり、つまり私にとってのコツコツ遊びは大体途中で飽きたり疲れたりして破綻する😂
でもね。小さな頃から、絵を書いたり。レースを編んだり。本当に小さな頃は楽しいからしていたんだけど、大人になってからは自分の中でなんとなく、これしていてもなんの意味もないよな。って思うことが多くなってきた。
けど、何かを表現し続けたい。
そのうち、同じことを同じだけ同じ分だけをとにかく一日のルーティンとして組み込みたい。
なんでもいい。
生活のことでもいい。
お風呂上がりに毎回忘れずクリームを塗る。でもいい。
そういう事を大切に思うようになった。
それは、個人の修行と課して生きることの目標とした。
基本的にそんなスタンスで暮らしていたけど、今日気づいたんだよね。
この表現の仕方。表現したいこと。なんのためにやるのか。
そう。私はつまり、小さな頃からずっと、時間という曖昧なものを表現していたかったのかと、気付いた。
幼い頃からちまちまとしていることもある。折り紙をちぎって。それを丸めて袋に入れる。
そんなこと。またはそれに近いこと。
最初は楽しい。飽きたらやめる。何年も部屋の何処かに眠っている。
でもまたはじめる。
何年も何年も。何十年も。
初めは意味のないことでも、それは多大な時間の経過を共に表している。
それを思うとやっと満足する。三十年たち、あぁわたしが表現したかったのはこれだったのかと、時間だったのか。
私だけの。オリジナルの時間。
既存のものをアレンジしたりそこからアイディアを持ったりすることが得意だし大好きだけど、ゼロから生み出すことはもっぱら苦手。
オリジナルを表現したいのに、全くまとまらない。形にできない。産みの苦しみは苦しいから辛い。
そんな気持ちだったけど、長年意味のないことを続けて、その時間が私の納得する自分だけのオリジナルを生み出してくれた。
私が生きている中で何かを表現したいとき。それは0ではなく1からスタートする。
それが私のやり方で、この先も変わらなくて、そしてそれが私の望みなんだとやっと気がついた。
これからも時の流れを軸として、表現していこうと思います。
って私はアーティストでもなんでもないんだけど、何十年も、
これに意味があるのかなぁ?意味がないからいんじゃないか!いや、意味は持たせたい。表現したい。無駄な時間ほど幸せなことはない。
自問自答してきた自分に答えが降りてきて、なんだかキラッとした朝でした。