施設にいた祖父は、先週、誤嚥性肺炎の可能性があると、病院に入院。
車椅子でやってきて、まだ会話していたそうです。
その時に、医師から、延命治療について問われましたが、私の両親は、その措置を取らないことに決めました。
医師も、その意向に賛同してくれたようです。
祖父は先月98歳になりました。
今週の火曜は、早朝、危ないので来てくださいと連絡があり、私の両親が病院に行ったようでした。
看護師の方に、今日中に何かあるかもしれません。
と言われ、その日は予定を全てキャンセルして、両親は喪服も準備して家で連絡を待っていました。
が、午前十時頃くらいから、私はなんでか祖父のことを考えると、穏やかな気持ちになり、
なんかわかんないけど今日中に連絡来ないと思うよ。それどころか明日もこない。なんかおじいちゃん凄い安定してるよ。
と言いました。
けれども両親は、息絶え絶えの祖父を病院に朝方呼ばれて見ているし、看護師の方ににも今日中と言われたので、
いやー、いつどうなってもおかしくない状態だから
と言っていました。
ですが、案の定その日は連絡もなく、2日たっても呼び出しの連絡はありませんでした。
でも昨日の早朝、なくなった祖母が頭に言葉を響かせてくるのと同じ感覚で、祖父の言葉が入ってきました。
え、この聞こえ方、おじいちゃんもう意識が離脱してるの?そろそろ終わるの?
と思い、その日起きてから両親に、病院に私も会いに行きたいと連絡してもらいました。
病院側は、最期の時なので、15分なら特別に大丈夫ですよと言ってくれて、昨日の夕方会いに行きました。
ちなみに早朝頭に聞こえてきた祖父の言葉は、
あぁ、大丈夫だよ
でした。
病室につくと、ナースステーションのすぐ横の小さな個室。
窓側を向く祖父は、コロナ渦の世の中になる前の、去年の冬に会った時の祖父とは別人。
このまえの犬のそらがなくなる寸前とまるっきり同じ様でした。
横を向いて、目も口もくぼみ、体も骨と皮。
浅く苦しそうな呼吸。
あぁ、これは、また施設に復活は厳しい。
そう感じながらも少し違和感がありました。
私の祖母もそらも、これからなくなるって生き物は、黒いもやもやが天井やその人の周りを囲むように見えるのですが、この状態の祖父には一片の黒いものも見えなかったです。
むしろ、なんでか白い光に包まれているような、祖父自身が白い光を放っているように見えていました。
これはなんなんだろう?
私の母が話しかけると、微かに手を動かそうとしています。
そして、頑張って腕を自分の顔の近くに持っていき、口をあわあわさせています。
多分、泣いているんだとわかりました。
でも、先週までは会話ができていたのに、話せません。
なきたくても、表情をしかめることも無理のようでした。
微かに腕を動かし、口をあわあわとさせるのが精一杯のようでした。
様子を見て、母がはなしかけ、それじゃあ行くからねというと、今までで一番強く腕を動かしたので、その手を私が握りました。
体温を感じない骨と皮だけの腕。
それでも、手のひらは肉厚で、私は心の中で、
ありがとう。ほんとうにありがとう。助けてくれてありがとう。大丈夫だよ。
そんな気持ちを、強めにその手を握ったその手にこめました。
そして母が、
そろそろ行くからね、もういいかい?と聞くと、祖父は、力強く頷きました。
98年生きてきました。
ここ数年で少しずつ弱ってきました。
人の死として、年老いてなくなることは、穏やかな営みとして理解しています。
けれども、コロナ渦では、毎日面会に行きたいのに、それが出来ない。
只々、また今日も会いに行きたいなぁ
と、ほのかに思うのです。
祖父は、秋田県で生まれ。たくさんの兄弟の中で育ち、貧しくも力強く生きました。
勉強は誰にも負けないぞとばかりに、何クソと思いながら努力して努力して、一番に上り詰めた。だからたかちゃんも何クソと思いながら努力して努力して努力するんだよ
と、いつも言っていました。
戦争で戦地に赴き、食べるものがなく餓死寸前の中、
しんでたまるか何クソと思いながら、捕まえた蛇や雀を骨まで食べていたんだよ
と、悪戯な笑顔で得意そうにいつも話していました。
戦時中の体験記を書いて出版もしています。
私の戦争体験記
とかって題名だったかな?
その後建築の勉強をして、設計をしながら大工の棟梁として弟子を10人以上自宅に住まわせてぃました。
市内にも、祖父が設計した家屋が数件残っています。
今も暮らしている人はきれいに使っています。
祖父の弟子の一人が手掛けた幼稚園は、なんちゃら文化財に数年前になりました。
自分の意にそぐわなかったりまがったことがあれば、娘でも他人でも人の子供にでも手を上げることもしばしば。
それでも、私や妹には、何されてもわがままいっても、一日中遊びにつき合わされても、にこにこと相手をしてくれて、一度も注意すらされたことはありませんでした。
私が二十歳を過ぎた頃、精神状態がうまく保てず自分でももがいていて、そんな私を暗いトンネルの出口が見えるところまで引っ張り出してくれたのは、祖父でした。
その時の祖父の言葉はがなければ、私は今頃どうなっていたのかなと今も思います。
命の恩人です。
祖父とは血が繋がっていませんが、この人と血が繋がっていたとしたら、どんなに強くなれただろうと、心や体が弱るたびに思ったりしました。
だから、一人で逝かせたくない。
せめてまだ心臓が動いている間に手を握りたい。
会いたい
会いたい
と、私のエゴですが、コロナ渦でも絶対に会いたい
と、先週、大正神社でお願いしました。
お願いしながら、張り詰めていた気持ちがふっと和らぎ、神様の前で涙がたくさん溢れてしまいました。
そして昨日会うことができました。
ありがとうございます。
今日中と言われていたのにまだ頑張ってくれていたおじいちゃんもありがとう。
会えて、手を握れて、うんうんと頷くおじいちゃんをみて、良かったです。
人の死とは本当に興味深いです。
身近な人の死から得るものはとても深く大きいです。
小さな頃から親族の死をたくさん見てきました。
そしてこれから、親の死を見て、そして自分も死を迎えます。
きちんと周りを看取ってから、自分も逝く。
これが、子供の頃、幼稚園の頃に祖母に宣言した私の使命です。