🔎まず、トリビアルというのは、些細なつまらないという意味ですから、記事のタイトルであるトリビアルなこだわリとは、“些細なこだわリ”とか“つまらないこだわリ”ということです。

🔎さらに、こちらの言葉=関西弁にすると、しょ-もないことアホみたいなことというニュアンス=意味合いになるんです。ただ、しょ-もないことアホみたいなことにこだわるのも、ある意味で関西気質なのかもはてなマーク
         
🔎ということで、わたくし占い師の右京がこだわっております、しょ-もないことやアホみたいなこと、について、恥ずかしながら白杖しますので、笑い飛ばしてくださいませ。

🔎先ずは食べることに関するこだわりです。外食で定食を注文すると、下のイラストに描かれているレイアウトで食べ物を出されることが多いですね。右手前に汁物、その向こうに主采が置かれ、その手前に汁椀が並ぶ配置です。
         
🔎箇条書きにすると、

1器を持ち上げて口に運ぶ物は左側に置く。
2主菜の前に転倒しやすい器を置かない。(主菜が最前列)
・・・・・・これが
こだわリです。ところが何故か、「正しい並べ方」というのが、ルール化しているようです。それが理に適ったものであれば納得のしようもあるのですが、未だに説明されたことがない。

🔎次は「食べること」と対になるほうです。いわゆる出すほうですね。取りあえずは画像をご覧ください。ペーパーの先を三角に折ってあることがありますが、それは気にしません。ただし、折るのを嫌がる方もいらっしゃるので、私が折ることはありません。
         

🔎唯一のコダワリは、
ミシン目に沿ってカットされている状態理想なのです。かといって、それをルール化するつもりはありません。ただ、ミシン目にそってカットすることは、福運を呼び込む近道なのかもしれません。ウン「運」をふく「伏・福」ものですからね。

🔎今回は、「食べることと出すこと」に纏(まつ)わるこだわりについて記事を作成しました。

「食べることと出すこと」といえば、≪シリーズ ケアをひらく≫の

『食べることと出すこと』というタイトルので出版されているのですが、これを読んで考えさせられることや気付かされることが多いのです。
         
食べて出せればOKだ!(けど、それが難しい……。)
「人間なんてしょせん食べて出すだけ」。なるほど。ではそれができなくなったらどうする――個性的なカフカ研究者として知られる著者は、潰瘍性大腸炎という難病に襲われた。食事と排泄という「当たり前」が当たり前でなくなったとき、世界はどう変わったのか? IVHでも癒やせない顎や舌の飢餓感とは? ヨーグルトが口腔内で爆発するとは? 茫然と便の海に立っているときに看護師から雑巾を手渡されたときの気分は? 切実さの狭間に漂う不思議なユーモアが、何が「ケア」なのかを教えてくれる。
【8月3日発売】

🔎著者である頭木さんの経験とは比べ物になりませんが、「食べることと出すこと」というくくりでは近いのと、発売時期に近いので便乗させて頂きました。
音譜お読み下さいまして有難うございました。ラブラブ